「瀬川の歯の色」「KYすぎる蔦重」 高評価「べらぼう」にもあった残念な場面ワースト5
被害者同盟はナンセンス
2位は、第44回「空飛ぶ源内」(11月16日放送)と第45回「その名は写楽」(11月23日放送)で描かれた。失脚した松平定信(井上祐貴)を中心に、大奥総取締の高岳(冨永愛)や田沼意次の重臣だった三浦庄司、火付盗賊改の長谷川平蔵宣以(中村隼人)らが、じつは同じ人間、すなわち一橋治済(生田斗真)を敵としていたと気づいて集まり、蔦重にも仲間に加わるよう持ちかけたのだ。
この時代、11代将軍家斉(城桧吏)の実父である一橋治済が強大な権力を手にしたことは、そこにいたるまでの過程も含めて次第にわかってきている。『べらぼう』では、転機や人の死などの裏にいつも治済がいることを臭わせ、底流で時代を動かす不気味な存在として絶妙に描いてきた。
治済にそれが可能だったのは、要所を自身に近い人間で抑えていたこともあるが、将軍の実父になってからは、もはや周囲には口出し不能な絶対的存在だった。「同じ人間を敵としていた」といっても、各人が複雑な利害関係のなかで治済から被害を受けたのであり、そうした人たちが被害者同盟のように集まり、「宿怨を越え、ともに敵を討つべく組む」などということは、さすがにナンセンスだと思う。
写楽はもはや謎の絵師ではない
1位は写楽である。第45回「その名は写楽」で明らかになったが、『べらぼう』には東洲斎写楽という一人の人物は登場しない。蔦重は役者絵を描き、それが源内作だという噂を立てて話題にすることを思いつく。そして旧知の絵師や戯作者らで制作チームをつくり、「しゃらくさい」という言葉に「写楽」の字を当てることになった、という展開だった。
たしかに、かつて写楽は謎の絵師で、多くの人が写楽とはだれかという「謎解き」を試みた。しかし、現在では写楽の正体は確定している。
江戸末期の文化人の斎藤月岑が、天保15年(1844)刊行の『増補浮世絵類考』に、「写楽とは八丁堀に住む徳島藩主お抱えの能役者、斎藤十郎兵衛だ」と書いていたことは知られていた。ただ、十郎兵衛の実在を示す史料がなかったのだが、現在ではそういう史料が多数見つかっている。
一例は、斎藤家の菩提寺で発見された過去帳に、八丁堀の地蔵橋に住んでいた徳島藩士の斉藤十郎兵衛が58歳で死去し、文政3年(1820)に千住で火葬された、と記されていたことだ。ほかに徳島藩主だった蜂須賀家の古文書や能役者の名簿などにも、斎藤十郎兵衛の名が確認されている。
もはや写楽が十郎兵衛であったことを疑う余地はない。それなのに、その「成果」を無視し、写楽という個人は存在しなかったというストーリーを創り上げることにどんな意味があるのか、私にはわからない。史実を大切にしてきた『べらぼう』が、最後にこんなことをやらかしたのは残念である。
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