人生の成功者となった「山里亮太」と「若林正恭」 2人が改めて向き合う「たりなさ」とは

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ファンも葛藤

 だが、2021年の解散ライブ「明日のたりないふたり」では、まさにそのテーマが扱われていた。彼らは芸能界における成功への階段を駆け上がり、本当に「たりて」しまったのか。これからどうやって生きていけばいいのか。

 結論から言えば、持たざる者から持つ者になっても、人間の性根の部分は変わらない。女優と結婚したからもう満たされているだろうという常識は山里には当てはまらない。むしろ、結婚したのにそれでも他人に嫉妬し続け、毒を撒き散らす生き様こそが、本当の意味で「たりない」ということなのだ。若林は相方として山里のそんな足りない部分に真正面から切り込み、問題の本質をえぐり取ってみせた。そして返す刀で自らの生き方にも目を向け、心の腫瘍を摘出していった。

 解散ライブ「明日のたりないふたり」では、無観客という特殊な環境の中で、魂を削るような漫才が披露されていた。自分たちはもう足りてしまったのか、それでもなお足りないままなのか。40代に突入した2人が向き合ったそのテーマは、芸人以外の人間も抱えている人生の問題そのものであり、エンディングの演出は有終の美を飾るにふさわしいものだった。

 だからこそ、今回の復活に関して、本人たちにもファンにも葛藤はある。だが、それを乗り越えた上で「今だからこそできる漫才」が生まれるのであれば、その価値は計り知れない。40代後半を迎え、大舞台を経験し、人生の分岐点を数多く選び抜けてきた2人が改めて向き合う「たりなさ」は、かつてとは全く別の深みを持つだろう。「たりないふたり」は、山里と若林が自分の全人生をぶつける壮大なドキュメンタリーなのだ。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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