「パパ、どこにも行かないで」絶叫する娘を振り切り女性のもとへ 49歳夫が“自ら壊すことになる家庭”を築くまで
【前後編の前編/後編を読む】不倫相手と暮らして6年、捨てた妻が「がん」だと聞いた…揺れる49歳夫に共に暮らす彼女が静かに告げた言葉とは
不倫の恋に身を委ね、自らの気持ちと情熱に負けて家庭を捨てる人もいないわけではない。離婚が成立すればまだいいが、結婚したまま別居、別の家庭を築き始めるとき、その人の心の中にはどんな葛藤が渦巻くのだろうか。
【後編を読む】不倫相手と暮らして6年、捨てた妻が「がん」だと聞いた…揺れる49歳夫に共に暮らす彼女が静かに告げた言葉とは
「出ていくほうもつらかった。僕が家を出たのは、8年前です。当時、1年ほどつきあっている女性がいて、僕がどうしても彼女と一緒に暮らしたかった。僕には当時、10歳の娘と8歳の息子がいました。ふたりが荷物をもった僕にまとわりついてきて『パパ、どこにも行かないで』と泣き叫んだ声が、今も耳に残っています」
積田忠信さん(49歳・仮名=以下同)は、せつなそうにそう言った。8年前、彼は子どもたちを振り切って家を出た。彼の服をつかんで話さなかった息子が、ボロボロと大きな粒の涙をこぼしていたのも忘れられないそうだ。
そもそもどうしてそんな状況になってしまったのだろうか。
「ぬるま湯だったんですよ、人生が」
忠信さんは、東京郊外のごく普通のサラリーマン家庭に生まれた。3つ違いの姉とともに育った彼は、思い出せないほどごく普通の子ども時代を送った。家庭に複雑な事情があるわけでも、幼いころ心に致命傷となるようなできごとがあったわけでもない。
やりたいことをやらせてくれた親には感謝していると彼は言うが、「まあ、ぬるま湯だったんですよ、人生が」と薄い笑いを浮かべた。
3つ違いの姉は、勉強もスポーツもできる「才女」だった。性格的にも明るく、はきはきしていてリーダーシップがあり、クラスの人気者だった。小学校でも中学校でも、「あの子の弟か」「ねえさんは立派なのになあ」とよく言われたという。そのくらい凡庸な子だったんですよねと彼は笑う。
ただ、自分が好きなことだけはとことん追求する性格だった。小学生で「地図」にはまった。自分で実際に歩きながら、住んでいる東京郊外の町の地図を立体的に手作りした。
「今でいえば、ハマるということなんでしょうね。その他、小学生のときは親父の影響で野球を好きになり、自分でもプレイしていました。外が暗くなってもひとりで練習をしているような子だった」
中学生になるとサッカーにはまった。ワールドカップのテレビ中継を夜中まで見続けて、その期間は何度も遅刻した。どんなに親に「もう寝ろ」と言われても寝なかった。好きなことになると自分でも驚くほど集中したという。
「まあ、それが勉強に生かされれば、相当いい学校に行けたんでしょうけど、あまり勉強にはハマれなくて。それなりの公立高校へ行って、そこでも部活でサッカーに夢中になり、それなりの私大に進学しました」
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