「パパ、どこにも行かないで」絶叫する娘を振り切り女性のもとへ 49歳夫が“自ら壊すことになる家庭”を築くまで
留学生に恋
学生時代、留学生に恋をしたことがある。寝ても覚めても彼女のことばかり考えていた。自分の気持ちを抑えられず、ついに告白、つきあうことになった。
「恋は楽しい。つくづくそう思いました。自分の世界が変わった。価値観が変わった、目に見える景色すべてがバラ色。そんな感じでした」
だがつきあって1年、彼女は本国へ帰ることになった。いつかまた日本に来るからと言ってくれたが、彼女のいなくなった日常はすっかり色を失っていた。半年後、彼は彼女に会いに行った。このまま帰国しないかもしれない、向こうで彼女と結婚するかもと友人たちに言い残した。
「ところが彼女は妙に冷めていたんです。会いに行ったことに対してはありがとうと言ってくれたけど、あんまり楽しそうじゃなかった。すでに新たな恋人がいたみたいです。僕は打ちひしがれて日本に帰ってきました」
社会人になって知った人生の「つまらなさ」
あんなに楽しかったのに、人の気持ちは変わるのだということが骨身にしみた。自分の情熱の矛先をもっていく場がなかった。スポーツなら情熱を傾けて努力をすれば、何らかの実りがあるが、人の気持ちは自分の努力だけではどうにもならない。どんなに好きでも、相手が嫌だと言えばそれまでだ。
「それを恨めない、恨んではいけないのが恋愛だと学びましたね。今の時代だったら、コスパが悪い、タイパが悪いとなるんでしょうけど、僕が若かったあの頃は、うまくいくとは限らないからこそ、恋愛は素敵なんだと思い込んでいました。生まれも育ちも価値観も違う人間同士が、少しでも理解しあう可能性があるなんて、素晴らしいことだと」
だが社会人になって3年もたつと、忠信さんは「ヤキが回った」と友人たちにこぼすようになった。会社員となったのは「突出した才能がない自分が生きていく糧を得るため」だったのだが、そのあまりの「つまらなさ」に、生きる情熱さえ失いかけていたのだ。
「このまま会社の歯車、駒として動かされるだけなのか、それに見合う対価は得られるのかと考えると絶望的でした。資格を得るとか、何か新たなビジネスに関わるとか、新機軸を見つけない限り、オレはジリ貧だと思ったんです」
何かしなければとは思うものの、何をすればいいのかわからない。自分に何が向いているのか、やりたいことはないのか。彼は生まれて初めて、真正面から自分と向き合った。
「やはり士業がいいんじゃないかと学生時代の先輩がアドバイスしてくれました。それで、会社の仕事とリンクする士業を目指して勉強を始めました。仕事も忙しかったけど、専門学校へも行くようになり、あの時期は本気で勉強しました」
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