【ばけばけ】ヘブンが異常なほど大切にする「写真の女性」 トキは到底およばない?2人の深い関係性

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交わされていた「ラブレター」

《相思相愛の『心の恋人』という趣が感じられます。日米に離れていますから、のりを越えるべくもありませんが、往復書簡にはラブレターといえるような文面も記されています。/『あなたの日本に関する本を読み終え、ここ2、3日どんなに楽しませていただいたかお伝えしたいという気になった。私はあなたのいる日本をもう一度見たいと思い焦がれている』(ビスランドから八雲へ、1895年6月15日)/『何度も何度もあなたに宛てて手紙を書いては火の中に投じた。その後私は髪が灰色になり、今は3人の男の子の親。たびたびあなたが気に入るような書物を書きたい』(八雲からビスランドへ、1900年1月)》

《八雲は来日後九作目となる民間伝承や随筆などを収めた『日本雑記』(1901年)を、ビスランドに捧げています。/そして、1902(明治35)年7月の手紙では、『12年前、日本に行ってほしい、あなたが書いた本が読みたいから、と言ったのを思い出す。もうすぐ日本についての十冊目(『骨董』)が出版される』という、生涯胸に抱きつづけた心情を八雲は明かしています》

 どう見ても、2人の関係は深い恋情で結ばれているが、どうして結婚に踏み切らなかったのだろうか。ハーンは24歳のとき、白人農園主と黒人奴隷とのあいだに生まれたマティ・フォリーと結婚したが、当時のオハイオ州では白人と黒人との結婚は法律で禁じられていた。それが主因で、勤務していた新聞社のシンシナティ・エンクワイアラー社を追われてしまう。ライバル社に職は得られたものの、結婚生活は結局、3年ほどで破綻した。

 この不幸な経験が心に引っかかっていて、なかなか結婚に踏み切れなかったのかもしれない。

二度と直接会うことなかった

 2人は再会できるギリギリのところまでいった。1902(明治35)年、ハーンは長男の一雄をしばらくアメリカで教育するために、1年か2年ほど、自分がアメリカで働けるように手配してくれないかとビスランドに依頼したのだ。彼女は奔走し、アメリカ屈指の名門コーネル大学で、20回の連続講義が行われることになったが、折しもコレラが流行し、取りやめになってしまった。

 ビスランドはその後も、ハーンが講義をできる場所を探すが、うまくいかないまま、ハーンは次第に心臓や気管支の病気を悪化させていった。

 その2年後の1904(明治37)年にハーンが死去したのち、1906年(明治39)年にビスランドはハーンの伝記および書簡集である『ラフカディオ・ハーンの人生と書簡』を編集のうえ刊行し、収益を小泉家に寄付している。その際、ビスランドがセツに送った書簡には次のように書かれている。

「『生涯と書簡』が好評で、あなたとお子さんたちに十分な利益になったことをとても嬉しく思います。親愛なるラフカディオも喜んでいることでしょう。世界中から私のもとに届いた素敵な手紙の数々をあなたにも見せられないのが残念なほどです。(中略)ラフカディオも、まさか自分が手紙を書いている間にあなたの将来への備えをしていたと知ったら、どんなに驚いたことでしょう!」(横山竜一郎訳)

 また、1907(明治40)年にセツからビスランドに送られた手紙には、次のような表現がある。

「日本に渡る前の夫の経歴を、秩序正しく節目を追って知ることができたのは、私にとって大変うれしいことでした。中には私が初めて知ったこともあって喜びました。/まあ、どんなに変化多き経歴でしょう。随分いろいろと困苦をなめましたね。あの鋭敏な感情で若い時に経験したいろいろな困難は、私の胸を固くします。夫は生存中に、困難に沈んでいる人の話をすると『私ただ思うさえ胸痛いです』と言うのが常でした」

ビスランドが教えてくれたハーンの経歴

 セツがいう「夫の経歴」。ギリシャのイオニア海に浮かぶレフカダ島に、アイルランド出身の軍医の父と、イオニア諸島で育った母とのあいだに生まれたハーン。2歳で父方の親類がいるダブリンに移住するが、母は馴染めずに精神疾患を患って故郷に帰国。母とはそれが永遠の別れになる一方、父は再婚してハーンとの確執が生じる。

 代わりに乳母から、ケルトの伝承などを語り聞かされ、のちにつながる精神世界が育まれたが、熱心なカトリック教徒の大叔母は、ハーンを全寮制の神学校に入れる。その学校での事故が原因で、16歳のとき左目の視力を失い、17歳で父が他界すると、大叔母が家を破産させて神学校を中退。貧困のなか、まずはロンドン、次いでニューヨークへと辿り着き、職を転々とした末に新聞記者として力を発揮する――。

 そんな若きハーンの経歴を、セツはまとめて知ったということだろう。だが、同時に、ハーンとビスランドの深い精神的なつながりについても、想像以上だったと知らされたのではないだろうか。

 ビスランドはハーンの死後、3回来日して、そのたびにセツのもとを訪ねている。ビスランドはセツや子供たちを経済的に助けてくれた恩人であり、深く感謝したと思われるが、同時に、どこか複雑な思いもいだいていたのではないだろうか。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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