地銀の内定を蹴って独立リーグへ…異色の元NPB投手「寺田光輝」がドラフト指名されるまで 夢に近づくために「自分の長所を極限まで磨き上げた」

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指名漏れで「頭が真っ白になったような感覚を味わいました」

 折れそうな心を何とか奮い立たせて、2年目のシーズンに臨んだ寺田氏は、この年も35試合に登板。0勝3敗10S、防御率2.41と前年の成績を下回ったものの、特徴的な変則のサイドスローがスカウトの目を惹き、前年よりも多い6通の調査書を手にした。

「前年のことがあったので、2回目のドラフトはあまり過度に期待せず、どこか他人事のような冷静さを持ちつつ、内心は神頼みをしながらその様子を見守っていました」

 そして、寺田と同じ2017年のドラフト7位で東北楽天に入団する寺岡寛治ら、チームメートとその様子をテレビで見守っていた寺田氏は、ドラフト6巡目で歓喜の瞬間を迎える。

「調査書の届いていなかった横浜DeNAからの指名だったので、最初は少し疑心暗鬼なところがあって。これ以上ないくらいの嬉しさと、『チームメートの寺岡と間違えているのでは?』という不安が入り混じっていました。僕の名前をネットで検索すると関連ワードに『間違い』が出てくるんですけど、その表示を見る度に当時のことを思い出しますね(苦笑)」

自分の武器を磨くことが大切

 今年も10月23日にドラフト会議が行われ、116名(本指名・育成を含む)がプロ入りのチャンスを掴んだ。

指名選手の喜びの表情に注目が集まる一方、かつての寺田氏のように指名候補に挙げられながらも、声がかからず涙を飲んだ“ドラフト指名候補選手”も多い。プロ野球選手になる夢を僅かなところで叶えられなかった選手たちに、寺田はこうエールを贈る。

「どの選手も何かしら自分の得意とする“一芸”があると思うので、それをひたすら磨き続けることが大切ではないかと思います。僕は幸運な縁をいただいて横浜DeNAさんに声をかけていただきましたけど、プレーに目を向けると、投球フォームもあまり綺麗ではありませんし、守備や打撃もさほど大したことのない選手でした。ただ、出所の見えにくいサイドスローでボールを投げることに関してはそれなりに自信がありましたし、そこを評価していただけたからこそプロ野球選手になれたと思っています。努力を続けたからといって、誰もが夢を掴めるわけではないと思いますが、むやみやたらと手を出すよりも、自分の長所を極限まで磨き上げていった方が、自分の輝ける場所に近づけるんじゃないかと思っています」

 大学中退や独立リーグでのプレーを経て、寺田氏は25歳でプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせたが、入団後にさまざまな試練が待ち受けていた。

 第3回【「東克樹」と同期入団…元横浜DeNA「寺田光輝」が引退後に「医学部生」となった理由 「過去の栄光を忘れないと絶対に前には進めない」】では、プロ野球選手となった寺田氏が、いかにして自身の限界と向き合い、引退を表明し、医学部への道を進むに至ったのか、その変遷を自ら辿る。

ライター・白鳥純一

デイリー新潮編集部

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