エレキに魅せられた少年が「INORAN」になるまで――LUNA SEAからソロへ続く軌跡を語る
デビューは「通過点」 その後に続く道が次から次へ
高校卒業後の1989年5月、ボーカルのRYUICHIが加入して、5人で活動を開始する。当時は「LUNACY」名義で、1990年11月から「LUNA SEA」表記となった。1991年4月に発売したインディーズでの最初のアルバム「LUNA SEA」は予約で初回プレス分1万枚を完売。勢いはとどまることを知らず、1992年5月21日、アルバム「IMAGE」でメジャーデビューへこぎつけた。
「デビューは格好よく言えば通過点だったかもしれないですね。その先に日本武道館公演など、もっと高い山があったわけだから。デビュー前からチケットは死ぬ気で売っていたかな。見てもらわないと始まらないわけだから。友達でもなんでも電話をかけまくって『見に来てくれ』と頼んだり、道に立って売ったりしましたね。自分たちを奮い立たせるのは自分たちでしかない、とね」
良くも悪くも個性の強いメンバー、演奏でもあった。
「もう演奏も上手いというよりはめちゃくちゃでしたよ(笑)。めちゃくちゃは目指していないんだけど、『どこにもない』というところを目指してたから。俺が、俺が、という部分が強すぎたんでしょうね。誰が先頭でその次に誰がいる、っていうのじゃなくて、全員が1列目にいてそのまま第1コーナーに突っ込んでいくようなね(笑)」
そうした姿勢も共感を得たのか、1993年8月には東名阪ツアーの最後に日本武道館2Days公演を開催。さらに“高い山”を目指し、1995年12月には東京ドームで公演。ライブ会場の大きさだけではない。アルバム制作でも「前のものを超えたい」という追究心や探究心が枯渇することはなく、次から次へと、道を上り詰める日々が続いた。
1997年にソロデビュー
5人でのそうした歩みから一転、1997年、LUNA SEAはメンバーそれぞれが活動を行った年だった。INORAN は9月にシングル「想」、10月にアルバム「想」を発売してソロデビューを果たした。
「LUNA SEAとして活動する中でファミリーや関係者がどんどん増えていったんですよね。多くの人に支えられてLUNA SEAが活動できていたわけですから。2000年の活動の終幕時には、最後の東京ドームの後の打ち上げに2000人いました(苦笑)。当時はリモートなんてありませんから、会場に行ってつながって『俺のLUNA SEAがさあ』と言ってくれる人がたくさんいたんです。ソロ活動も規模は違えど構造は同じ。ファミリーになってくれる人がいて。そのファミリーと笑い合えるようなことをしたい、新しい家や家族ができたことが原動力になって今も続いていますね」
LUNA SEAの終幕後、2001年から本格的にソロ活動を始めたが、疎遠になった人もいたと振り返る。だが同時に、自身が発する音楽で喜んでもらい、ファンやスタッフも含めたファミリーを増やしていくのが醍醐味と感じていた。今もその思いは変わらない。
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ソロとなっても変わらぬ探究心を持ち続けたINORAN。第2回【18年ぶりに蘇る「ニライカナイ」 「再録音で改めて完成」INORAN、音楽好きの矜持】では、自身の音楽観や最新アルバム「ニライカナイ-Rerecorded-」などについて語っている。








