「東京佐川急便事件で245億円の損害を」 “希代の詐欺師”は生きていた… 「会社版地面師」で逮捕、驚きの手法とは

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 会社乗っ取りをもくろみ株券偽造で逮捕されたのは、かつてちまたを騒がせた人物だった。他でもない、戦後最大の経済事件といわれた東京佐川急便事件で暗躍し、実刑判決を受けた松澤泰生(74)である。世間の裏街道でしぶとく生き延びていたバブル紳士の足跡を追う。

 政界のタニマチとして知られた東京佐川急便の故・渡辺広康元社長(2004年に69歳で死去)が唯一アポなしでも社長室に招き入れたのが、当時不動産業を営んでいた松澤だったという。日本がバブル景気に酔いしれていた1980年代後半のことである。

 後の92年に表面化した東京佐川急便事件では、渡辺元社長から自民党副総裁だった故・金丸信への5億円ヤミ献金が発覚。自民党が結党以来、初めて下野するきっかけとなった。

 そんな時代のうねりの中にいた松澤は、95年に特別背任罪で懲役5年の実刑判決が確定した。東京佐川から債務保証と融資で580億円を引き出して株取引や不動産投資に注ぎ込んだ挙げ句、同社に約245億円の損害を負わせたのだ。

 それから30年余りがたった今年11月13日……。

「警視庁暴力団対策課が、松澤を含む男女三人を有価証券偽造・同行使などの容疑で逮捕しました。警察発表では三人とも職業不詳となっていたので、すぐには、あの松澤と気付きませんでしたよ」

 と、社会部記者。松澤の他に逮捕されたのは澤田洋一(76)と齋藤ゆかり(60)の両容疑者で、

「三人は、不動産管理会社『ハナマサ』の株主権を巡る民事訴訟において、一昨年と昨年、偽造した株式譲渡契約書と株券を東京地裁に提出したとされます」(同)

 ハナマサはもともとスーパー「肉のハナマサ」を運営していた。が、08年、業績悪化によってスーパー事業を別法人へと譲渡し、以降は不動産管理会社となっていた。

「松澤らはその会社の乗っ取りを図りました。スーパー事業の業績が悪化している時期、同社では役員が入れ替わるなど経営面も不安定で、松澤は混乱に乗じて会社に出入りするようになっていた。そして22年12月、同社が埼玉県東松山市に所有していた土地を勝手に10億円で売却し、そのうち8億円を自身が関係する会社の口座へと送金していました」(同)

 松澤はこの後自らをハナマサ代表として登記。

「加えて、同社の株式を松澤が保有していると偽装し、役員就任の正当性を主張しようとしたわけです。勝手に会社の資産が売られ登記も書き換えられていた事実に気付いた元代表が民事で提訴するとともに“会社が乗っ取られそうだ”と警視庁に相談し、逮捕に至りました。なお、警察は業務上横領容疑などでのさらなる立件を視野に入れています」(同)

 いわば“会社版地面師”のような手口について、捜査関係者が語る。

「松澤容疑者にとって、さほど難しい作業ではなかったでしょう。なにしろ、渡辺元社長の“金庫番”と呼ばれた人物ですからね。巨額の債務保証と融資の見返りに元社長へ還流した裏金は当時、政界に流れたとされました。松澤容疑者は金庫番として、株取引や不動産取引、政界工作など、複雑で巧妙な作業をこなしていました」

 しかし96年、渡辺元社長に懲役7年の実刑判決が下ると(03年に確定)、

「服役中の金庫番に対する世間の関心は次第に薄れました。この数年はほとんど名前を聞かなくなっていましたし、生死も定かではありませんでした。ですが、こうもしぶとく生き延びていたとは……」(同)

 あらためて“希代の詐欺師”とも称された男の人物像をたどる。

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