エースだったのにまさかのクビ宣告!? 自由契約になった「スター選手列伝」

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 阪神の外野手・楠本泰史は、日本シリーズ最終日の10月30日に球団から戦力外通告を受け、昨オフのDeNAと合わせて2年連続自由契約となった。準レギュラーの中堅選手であれば、決して珍しい話ではない。しかし、過去にはスター選手でありながら自由契約の憂き目に遭った者もいる。【久保田龍雄/ライター】

1からやり直すつもりで頑張りたい

 まず、2年連続で自由契約になったのは、戦後初の三冠王に輝き、歴代2位の通算657本塁打を記録した野村克也である。

 南海プレーイングマネージャー時代の1977年9月、後に妻となる沙知代氏がチームに介入するなど公私混同を理由に、監督を解任された。

 その後、“生涯一捕手”を宣言してロッテに移籍したが、これはトレードではなく、形としては自由契約だった。

 さらに翌78年、3年ぶりにBクラス(4位)に沈んだロッテから次期監督を要請されたが、金田正一前監督の後釜に座ると、自分が告げ口して辞任に追い込んだような誤解を招くとして断り、再び自由契約になった。

 それでも、「50歳まで現役を続けたい(当時43歳)」と他球団でのプレーを望んでいたところ、知名度向上のため全国区の有名選手を集めていた新生球団・西武から声がかかり、80年まで現役を続けることになった。

 同じく2年連続で自由契約になったのは、工藤公康である。

 西武、ダイエー、巨人で計14度の優勝に貢献した“V請負人”は、2007年に門倉健の人的補償で巨人から横浜に移籍したものの、46歳になった2009年に2勝2敗、防御率6.89という成績に終わった。

 2年連続最下位から建て直しを図る横浜はコーチ就任を要請したが、工藤は「どこかできるところで最善を尽くしたい」と現役続行を望み、自由契約となった。

 そして、現役時代から親交のある西武・渡辺久信監督が手薄な中継ぎ左腕を補強するため獲得に名乗りを上げ、16年ぶりの古巣復帰が決まる。

「1からやり直すつもりで頑張りたい」と心機一転再スタートを誓った工藤だったが、翌10年は登板10試合、0勝2敗、防御率10.50と結果を出せず、9月27日に戦力外通告を受けた。

 その後もメジャー挑戦を視野に入れるなど現役続行を目指したが、11年12月9日、肩の故障を理由に、ついに引退を発表した。

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