ボウリング界のスター「西城正明」 売れない歌手からプロボウラーになった男の現在 本人が明かす(小林信也)
通算獲得賞金2位
西城の覚醒の時は、プロになった直後に訪れた。
「私のボールは横回転で、あまり曲がらないからピンが倒れない。プロではストライクが取れないと勝てません。それで何とか回転を起こしたい、縦回転の質に変えたいと考えていた時、先輩のボールにヒントを見つけたんです」
品川ボウリングセンターで、「この人のフォームが理想だ」と感じていた1期生の川井英一の練習をジッと見ていてひらめいた。西城は川井のボールと同じ穴を開けようと考え、自らドリルを操作して新しいボールに穴を開けた。
「ドリルを使うのは初めて。同じ穴にすればきっと曲がる、その一心でした」
3日後、〈新人王決定戦〉が行われ、西城は見事に優勝を飾る。そこからは一気にスターダムにのし上がった。1年目は2勝、2年目には5勝をマークした。
80年代に入り、ささいな誤解からプロボウリング協会ともめ、大会から遠ざかった。飲食店を経営した後、再びプロに復帰。
「40歳になった西城に何ができると非難されました。でも、一番優勝賞金の高かった関東オープン(500万円)で5回勝ちました」
98年、2001年のジャパンオープンでも優勝。通算35勝は41勝の矢島、37勝の酒井武雄に次ぐ3位。通算獲得賞金は1億3179万3000円で酒井に次ぐ2位。公認パーフェクトも17回記録した。
10月末で80歳になったいまも親しい仲間と毎週日曜に「10ゲームくらい投げる。アベレージは220くらい。親しくなったアマチュアにボランティアで指導するのも楽しいね」。
私が訪ねた日のハイスコアは248。6番・7番のスプリットも難なく倒した。フォームは流麗そのものだった。
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