「腰を心配しても『投げる』と言って譲らなかった」 恩師が明かす山本由伸の素顔 「今回連投を志願したと聞いて、由伸らしいな、と」
【全2回(前編/後編)の前編】
球団初のワールドシリーズ2連覇に、MVPが花を添えた。11月1日(現地時間)に優勝を決めたドジャースで大車輪の活躍を見せた山本由伸(27)。二刀流復活の大谷翔平(31)と共にチームをけん引した渡米2年目の男は、いかにして「世界一の投手」に輝いたのか。
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シリーズ連覇は、1998年から2000年にかけてのヤンキース以来25年ぶり。最終戦の逆転勝ちを含めて山本はチーム4勝のうち3勝を挙げており、これは01年のランディ・ジョンソン(ダイヤモンドバックス)以来の快挙で、敵地での3勝は史上初だという。
「山本は前日の第6戦で6回96球を投げて勝利しており、最終戦の9回裏、サヨナラ負けのピンチを迎えた場面で登板。延長11回に味方の勝ち越し本塁打によって勝利投手となりました。本人は前日、柔道整復師で個人トレーナーを務める矢田修氏から“明日もブルペンで投げられるぐらいに(体を)持っていこう”と促されたといい、“感覚が良くて気付いたらマウンドにいた”と振り返っていました」(メジャー担当記者)
ロバーツ監督も最終戦前、山本が登板を“志願”したと明かしていた。
「先月25日の第2戦を105球で完投勝利した翌々日も、延長18回にもつれ込んだ第3戦の登板に備え、山本はブルペンで投球練習をこなしていました。それもあってロバーツ監督は“私が見てきた中でメンタルは最強クラスだ”と会見で評していたのです」(同)
「練習がない日も『壁当て』や素振りを」
そうした姿勢が“異次元の活躍”へとつながり、09年の松井秀喜以来、16年ぶりとなる日本人2人目のシリーズMVPを手繰り寄せたわけである。MLBアナリストの友成那智氏が言う。
「山本は最終戦の8回、2点ビハインドの攻撃中にブルペンでキャッチボールを始め、その姿が“ヒロイック・ビヘイビアー(英雄的行動)”とドジャースファンの称賛を浴びました。チームの投手では最も大きな契約(12年総額3億2500万ドル)を結んでおり、それにふさわしい心意気で試合に臨んだことを強くアピールする形になったのです」
優勝後の会見では周囲のサポートに感謝していた山本。大谷が言うところの「世界一の投手」に上り詰めたとはいえ、むろん頂点への道があらかじめ開かれていたわけではなく、自身の身を置いてきた環境が少なからず作用したのは言うまでもない。
故郷の岡山県備前市で、偶然にも実家が隣同士だったのが、23年のパ・リーグ首位打者であるオリックスの捕手・頓宮(とんぐう)裕真(28)だ。
「僕は(山本より)2学年上で、小学校時代は地元の野球チーム『伊部(いんべ)パワフルズ』で一緒にプレーしました。当時の彼は内野手でしたが、とても負けず嫌いで、チームの全体練習がない日でも、一人だけ黙々と『壁当て』や素振りに励んでいましたね」(頓宮)
後にオリックスでチームメイトとなった二人は、21年の開幕戦でバッテリーも組んでいる。
「プロになってからもブレないで練習に明け暮れていて、常に試合に向けた準備を怠りませんでした。かわいい後輩であることに変わりはありませんが、努力の積み重ねで連覇を成し遂げたのだから、すごいとしか言いようがありません」(同)
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