未解決事件「警察官殺害・拳銃強奪事件」の犯人は“病死”していた!? 伝説の1課長が率いた「極秘捜査」の真実

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長官狙撃は結果を公表

 だが任意捜査には限界があり、本人からの事情聴取でも一旦は「話しますよ」との言質は取ったものの、結局は自供も得られなかった。そして拳銃という決定的な物証が見つからないまま1994年7月、服役先だった東北地方の刑務所で肝硬変のため死亡。まだ46歳だった。寺尾氏は生前、「生きていればもう一度、取り調べなければならない相手だった」と関係者に漏らしていたと伝えられる。

 事件の起きた交番は当時、夜間は2人勤務体制だったが、近くの小学校で起きた建造物侵入事件に同僚が出動し、容疑者を東村山署へ連行中だったため、大越巡査長1人だった。

 実は事件直前の午前3時5分ごろ、交番内で大越巡査長に道案内を受けている男性の姿が通行人に見られており、目撃情報の“人着(人相・着衣)”や背格好が病死した男と「酷似していたそうだ」(同元刑事)。

 しかしこの捜査結果は一切公表されなかった。それどころか時効を前に、再取材をする過程で男の存在を知った警視庁担当記者たちに、捜査関係者は「近くに住んでいた元公務員も捜査していた」「神奈川県の河川に(同型の)銃を捨てたと証言する者もいた」などと、複数の重要参考人の存在を示唆して煙に巻いていたのだ。

 一方で2010年3月、警視庁は1995年の警察庁長官狙撃事件が時効を迎えたことを受け、記者会見を開いて「事件はオウム真理教の信者が組織的・計画的に敢行したテロ」とする捜査結果を公表している。公表理由は「事件の重大性(中略)にかんがみて」と説明。「人権侵害に当たらないか」との質問には「公益性と社会正義との均衡を考慮した」と述べ、「刑事責任を問うことと、捜査結果を分析した結果を国民に報告することは違う」と強弁した。

 警視庁地域部の元幹部は、東村山署の事件について、声を潜めてこう語る。

「警視庁でも上級幹部や地域部首脳には『犯人は病死した』と“済んだもの”とする内々の申し送りがあった。だが逮捕していない以上、ご遺族には報告できないということだ」

 あるヤメ検(検事経験のある)弁護士はこう推察する。

「警察が奪われた拳銃が、現在も凶悪犯罪に使われる可能性がゼロではないことが、捜査の概要を一切明かせない大きな要因なのだろう。警察トップが命を狙われた事件は見込み捜査を長年続けたことも相まって、警察の面子のために捜査の概要を公表し、拳銃強奪事件は万が一にも銃が新たな犯罪に使われた場合を想定すると、警察の面子を保つために公表はしないということではないか」

岡本純一(おかもと・じゅんいち)
ジャーナリスト。特捜検察の捜査解説や検察内部の暗闘劇など司法分野を中心に執筆。月刊誌「新潮45」(休刊中)では過去に「裏金太り『小沢一郎』が逮捕される日」や「なぜ『東京高検検事長』は小沢一郎を守ったか」などの特集記事を手掛けた。

デイリー新潮編集部

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