「オレのせいかな」とヘラヘラ…「知床遊覧船」沈没事故 「無罪主張」社長の“反省なき日常” 地元住民は「思わず殴りそうになった」
11月12日、北海道の知床半島沖で観光船が沈没、乗員と乗客26名が死亡・行方不明となった事故の初公判が釧路地裁で開かれる。
事故が発生したのは、3年半前の2022年4月23日。観光船「KAZU I(カズワン)」が、悪天候が予想されるにもかかわらず出港して沈没した。運航会社「知床遊覧船」の桂田精一社長(62)の責任が厳しく追及された。
運輸安全委員会は、一昨年、調査報告書を発表。ハッチに不具合があり、悪天候で蓋が開いて浸水したのが原因と指摘した。昨年9月には、第一管区海上保安本部が桂田氏を逮捕。釧路地検が10月に業務上過失致死罪で起訴していた。起訴状では、桂田被告には、悪天候が予見され、事故が発生する恐れがあるため、船長に運航の中止などの指示を出し、事故を防ぐ義務があったにもかかわらず、それを怠った結果、26人が死亡・行方不明となったとしている。
3年半の時を経て、ようやく事故の責任の所在が明らかになる時が来たわけだが、その間、桂田被告はどのように生活していたのか。彼は事件後も知床で暮らし続けていたが、「週刊新潮」では、昨年秋の逮捕直後にその周辺を取材し、被告の悪評甚だしい日常生活を報じている。当時の記事を振り返り、彼の人物像を今一度詳らかにしてみよう。
(「週刊新潮」2024年10月3日号記事の再録です。文中の年齢、役職等は当時のものです)
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【写真5枚】桂田社長が従業員を解雇させる際、一方的に送りつけたLINE画面
“責任転嫁”の見本のような人物である。
北海道・知床の海に沈んだ船「KAZU I(ワン)」の運航会社「知床遊覧船」の桂田精一社長(61)のことだ。
「2022年4月の事故から2年半。ようやく、(2024年)9月18日に逮捕されました」
と、社会部デスク。
「海保の第一管区海上保安本部は、業務上過失致死と業務上過失往来危険の疑いで社長を逮捕、送検しました。運航管理者である社長が、強風、波浪注意報が発表されるなか“条件付き運航”を決定。航行継続の判断を船長に任せた結果、事故を招いたとみています」
前代未聞の大惨事以降、桂田容疑者は、
「運航管理者としての責任は認めつつ“海が荒れたら船長の判断で引き返すと思っていた”と主張し、逮捕後も同じ供述をしている。“事故3日前の国の検査ではなにも言われなかった”と、国にも責任があると言わんばかりの態度です」
しかも、遺族と向き合おうともしておらず、
「事故の4日後に開かれた“土下座会見”のあと、公の場に姿を見せてこなかった。昨年(2023年)4月の追悼式も“呼ばれていないので行けない”と欠席し、今年(2024年)4月の追悼式にも出ていません」
桂田容疑者はこうした姿勢を貫き、地元の斜里町で暮らし続けていた。
「悪口が一族の耳に入るのを恐れていた」
地元のウトロ漁協のベテラン漁師が語る。
「会社の安全管理規程では、運航中は事務所で船長と連絡を取り合うと定められていたのに、出航決定後、精一は出産を終えた奥さんを迎えに行って事務所を空けていた。それで対応が遅れたんだから人災だよ。でも、地元で表立って批判されることはなかった」
一体どういうことか。
「地元の名家の出なんだわ。父親はレストランや民宿を経営する傍ら、斜里町議を長年務めた人物。その息子の精一は土地を離れて陶芸家をやっていて、20年ほど前、民宿を継ぐために戻ってきたんだ」
この民宿を足掛かりに、桂田容疑者は複数の観光ホテルやゲストハウスなどを持つ観光グループを築いた。
「地元住民の多くはなんらかの形で観光業に携わっていて、いまも観光グループと取引している。事故後は父親がグループを引き取り、精一も前社長として札幌などに出張していた。地元住民は、悪口が桂田一族の耳に入って取引を切られるのを恐れていたんだよ」
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