「日本の警察に負けた」と言わせた警官、国葬となった元仲間、墓前に集まる男たち…日本で暗躍したソ連スパイ「ゾルゲ」を取り巻く人々
墓前で鳴る「試合開始のゴング」
「祖国の英雄」ゾルゲへの評価は、ソ連がロシアとなっても変わらなかった。それを日本国内で“確認”できる場所は、ゾルゲが眠る多磨霊園(東京・府中)の墓である。
〈「私の知る限り、ほとんど例外なく、彼らは来日翌日に多磨霊園へ来ている。向こうもこっちが監視しているのは承知。そして、我々も墓参しようとしまいと、武官=GRUだと思っている。こっちの監視も儀式だな。試合開始のゴングがここで鳴るわけだよ(後略)」〉(「週刊新潮」2000年10月5日号)
と、語ったのは当時の公安部OB。時は海自スパイ事件が発生した2000年9月、事件で帰国した武官の後任が来日した頃だ。「GRU」とはロシア連邦軍参謀本部情報総局を指し、その前身はゾルゲがソ連で所属していた組織である。
当時のGRUには、日本に着任する武官は到着翌日にゾルゲの墓参りを行うという〈裏慣習〉があった、と誌面は報じている。ただしこの年は事件の影響もあってか、来日3日後までの墓参は確認されなかった。
無縁仏となっていたゾルゲの遺骨を取り戻し、この墓を建てたのは日本でのゾルゲの妻、石井花子さん(2000年7月1日死去)である。石井さんの姪で養女の弘子さん(2018年死去)によると、ロシア武官は石井さんの下にも訪れていた。
〈「墓参のことは私には分かりませんが、叔母の生前には、武官の方がこの家に3カ月に1度くらいは来てくださっていました。中には奥さんや息子さんを連れてくる方もいらっしゃいましたね」〉(同)
ゾルゲに憧れたプーチン氏
2020年10月末、ゾルゲの墓の所有権はロシア大使館に移った。公安部とロシア武官が“非公式の顔合わせ”をしていた場所は現在、ロシア大使館の公式行事の場となっている。
ロシアではゾルゲ人気が急激に盛り上がっていた。2024年11月に出版された『ゾルゲ事件80年目の真実』(名越武郎著、文春新書)によると、ゾルゲに関する公文書は1991年のソ連崩壊後から公開され、「プーチン体制下で大幅に進んだ」という。「スパイ事件としては異例ともいえる大量の情報公開がなされた」結果、関連書籍が続々と出版された。
となれば、キーマンはプーチン氏だろう。プーチン氏は政権を握った2000年に出版した回想録でKGB入省の動機は「スパイ映画を観たこと」と明かした。そして2020年、68歳の誕生日に行われたインタビューでは、「高校生の頃、ゾルゲのようなスパイになりたかった」とついに“明言”した。
「週刊新潮」は、2009年5月のプーチン氏来日前にも、ロシアの駐在武官や大使、大使館職員ら総勢十数名での墓参が行われたことを報じている。この時も取材に応じた弘子さんは、花子さんの生前に「ロシア大使館の方が遺族年金を届けにうちまでいらしてくださったこともある」と語っていた。
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