「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」が起こした「令和の香港ブーム」 立役者のソイ・チェン監督が歩んだ紆余曲折

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「令和の香港ブーム」到来

 香港観光発展局の統計によると、今年1~8月に日本から香港を訪問した人数は約47万人超で前年同期比約35%増。8月単月は約7万6000人で約55%増となった。その他の主要な海外渡航先と比較すると、50%以上の増加は香港とマカオのみである。

 現在の日本には「令和の香港ブーム」が訪れている。その火付け役とされているのは、今年1月に日本公開されたソイ・チェン(鄭保瑞)監督の映画「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」(以下、トワウォ)だ。香港では撮影セットが“観光資源”に転用され、日本では関連書籍や本作をテーマにした香港ツアーといった商品が続々と世に出ている。

「1年経ってもまだこの映画を観ているんですか?(笑)」

 今年の東京国際映画祭でマスタークラスに登壇したチェン監督は、少し照れたような顔でこう言った。会場では「トワウォ」の上映が終了したばかり。チェン監督はファンたちに笑顔を見せると、次には“九龍城砦に至るまで”の紆余曲折を語り始めた。

真の「スタート地点」

 チェン監督は1972年マカオ生まれの53歳。一家での香港移住を挟み、80年代の香港映画ドラマブームの中で育った。19歳で映像業界に入り、ドラマの現場を経て映画へ。林嶺東(リンゴ・ラム)やアンドリュー・ラウ(劉偉強)、ウォン・ジン(王晶)、ウィルソン・イップ(葉偉信)といった有名監督の現場で学んだ。

 2001年に監督となってからは主にホラーを手掛けたが、チェン監督が真の「スタート地点」「非常に大切な作品」と呼ぶのは「ドッグ・バイト・ドッグ」(2006年)だ。追う刑事と追われる殺し屋を描いたダークバイオレンスは、暴力描写の激しさから日本公開時にR15指定となった。とはいえ、ただいたずらに激しくしたわけではない。

「実はこの作品を通して、世の中を見る方法や、自分が見たものを表現する方法を見つけました。非常にダークで腐敗した世界、絶望といったものを、自分の美学を通していかに表現するかということです」(東京国際映画祭マスタークラスにて、以下同)

 かねて望んでいた社会派のテーマも盛り込んだこの作品で、チェン監督はダークバイオレンス映画の若き旗手となった。だが、日本の漫画を原作とした次作「軍鶏 Shamo」(2007年)では手痛い失敗に見舞われてしまう。マスタークラスでも改めて「失敗作」と断言したものの、この失敗から学んだことは多いと振り返った。

トー監督のスパルタ教育

 この失敗を受け、チェン監督は新たな刺激と学びを求めた。そこに現れた次の名監督はジョニー・トー(杜琪峯)。今年70歳を迎えたトー監督は、香港のアカデミー賞こと「香港電影金像奨」の最優秀監督賞を3回受賞した香港映画の重鎮である。暴力や犯罪、男たちの絆などを自身の美学で追及する作品は、香港映画界でもひときわ作家性が強い。

 チェン監督はトー監督の制作会社「銀河映像」に所属し、「それまでの作風とはまったく違うものを作る」と決心した。そしてトー監督から見たチェン監督は、実に育て甲斐がある若者だったようだ。

「私が話したアイデアにトー監督の意見をいただきながら、どうやって映画にするかを話し合っていくのですが、正直この過程は非常に苦痛でした。言い過ぎかもしれませんが、トー監督のやり方はとても非人道的なんですよ(笑)。とにかく厳しい。脚本ができる前の段階でアイデアかプロットを持っていくと『うん、ダメだ』と。それを繰り返し繰り返し20数回もやる。みなさん、想像できますか? この苦しみが(笑)」

 香港メディアに掲載された2021年のインタビューによると、チェン監督は“トー監督が求めているもの”を懸命に考えた時期があった。するとトー監督は「自分が求めているものを考えろ!」と激昂し、「私がダメ出しを続けるのは、君の表現したいことが物語の中に出てきていないからだ!」と厳しく叱りつけたという。

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