放送終了から45年「西遊記」特撮の舞台裏 觔斗雲は手のひらサイズ、百羽超のカラスは鉛仕込み…如意棒は家で布団叩きに

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 1978年から1980年にかけて2シーズンにわたって放映された日本テレビ系のドラマ「西遊記」。堺正章演じる孫悟空ら登場人物の掛け合いと、三蔵法師を演じる女優の先駆けとなった夏目雅子の好演などが印象深い。だが、觔斗雲での飛行や行く先々で現れる怪獣などを表現した特撮や、ゴダイゴが作った音楽も、世界観を見事に構築した。放映終了から45年が経過した今、当時の関係者が「西遊記」を振り返った。

(全2回の第1回)

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電話で「お前がやれ」 急遽、特撮監督を担当することに

 1978年10月に、最初の「西遊記」シリーズの放映が始まった。特撮は「ウルトラマン」シリーズなどで実績のある円谷プロダクションが請け負い、当初は、円谷英二の直弟子でもある高野宏一が特撮監督を担当した。

「ところが、高野さんから突然電話がかかって来たんです。『俺は台湾で仕事があるから、清、お前がやれ』と。たったそれだけですよ。自分が『西遊記』をやるなんてこれっぽっちも思っていなかったんです」

 こう明かすのは、円谷プロでウルトラマンシリーズの特撮などに携わった映像プロデューサーの鈴木清だ。円谷時代の先輩にあたる高野に「やれ」と言われたら、断る選択肢はない。「やらせていただきます」と返答し、第6話まで特撮監督を担った高野に代わり、7話から鈴木が担当することになった。同じく円谷プロ出身の佐川和夫、「ウルトラマン」シリーズや「ゴジラ」シリーズに関わった中野昭慶、神沢真一、川北紘一らも特撮監督を務めたが、鈴木はシリーズ全52話のうち、最多の24話で参加している。

「1時間もののドラマで円谷がやった作品で言えば、『マイティジャック』(1968年、フジテレビ系)以来ではなかったかな。マイティジャックは円谷の社運を賭けたドラマだったと思いますが、西遊記はそれと同じくらい力を入れたのではないかと思います。円谷プロが主導したマイティジャックとは異なり、西遊記は制作会社である国際放映を通じて特撮を任されたので、制作リズムは異なっていたでしょうけれど。力を入れていたからこそ、高野さんが特撮監督を務めた最初の6話分では、オプチカルプリンターを使用した合成(複数のフィルムを光学的な処理で合成する手法)などにも取り組んでいましたからね」

もっと楽に 抜くところは抜いて

 一方、鈴木の考えは異なっていた。1973年から同じ日テレ系で「スーパーロボット レッドバロン」(宣弘社)「スーパーロボット マッハバロン」(日本現代企画)「小さなスーパーマン ガンバロン」(創英舎)といった作品に監督やプロデューサーとして携わってきた経験から「テレビなんだから、特撮ももっと楽に」と考えていたという。

「抜くところは抜いていかないと。目いっぱいお金をかければパンクしますよ。だから觔斗雲はオプチカル合成じゃないだろうという思いがあって、変えたんです」

 觔斗雲はピアノ線で吊る手法、さらに綿の中に電飾を仕込んでピンク色に見えるようにし、空中をスーッと軽く飛ばせる形で撮影に入った。

「特撮の撮影時間も短縮されたし、合成や出来上がりもむしろきれいに上がって、画面的にもきれいに見えたと思いますよ」

 鈴木はこう自賛する。実は軽そうに見える觔斗雲だが、安定させて飛ばすには一定の重さが必要だ。劇中、特撮部分の觔斗雲そのものは手のひら程度の大きさで、単に軽いだけだとフワフワしてまっすぐ飛ばないだけでなく、強風にあおられるなどした際の動きなどがうまく操演できないという。最初のシリーズの第15話「鳥葬!悪魔の生贄」では、屍肉を狙うカラスの大群が操演で表現されているが、このカラスも同様に重さを持たせた。

「あれはカラスのシルエット全体を鉛で造り重量を加えています。小さなものを吊るにはどうしても重さが必要なんですよね。羽根を上下に動かすなど、動かし方には二重三重の仕掛けがあるんですが、画面上では100~150羽ぐらいカラスがいるように見えるよう工夫しましたね」

 巨大怪獣が出てくる回もあったが、これは円谷プロ出身の鈴木らにとってはお手のもの。こうした特撮の手法は、「西遊記」シリーズの企画を務め後に日テレの取締役にもなった早川恒夫にいたく気に入られ、西遊記Ⅱでは鈴木率いる創英舎が特撮を請け負うことにつながった。

「もともと仕事を苦労と思ったことはないんです。自分が好きなことをやっているんだからいつも楽しんでいます。手軽なテクニックで効果的な表現をしようといつも心がけていますよ」

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