“エビジョンイル”と呼ばれた海老沢勝二氏 63歳でNHK会長に上り詰めた男の生涯【追悼】

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は10月19日に亡くなった海老沢勝二氏を取り上げる。

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「側近たちはゴマすりの茶坊主ばかり」

 2004年、海老沢勝二NHK会長は、矢面に立たされた。職員による番組制作費の着服など局内の不祥事が次々と発覚したのだ。

 一連の事案に関し海老沢会長が説明を求められた衆院総務委員会をNHKは生中継せず、隠蔽(いんぺい)だと視聴者の怒りは爆発。受信料の支払い拒否が数カ月で10万件にも達した。独裁的振る舞いを北朝鮮の金正日総書記になぞらえ「エビジョンイル」と人は呼んだ。

 海老沢氏は政治部記者として政界に幅広い人脈を築き、のし上がってきた。海老沢氏と同時期にNHKの政治部記者だった川崎泰資氏は05年、「週刊新潮」で〈海老沢の巧妙なところは、自民党の派閥支配と同じくアメとムチを使い分けるところ。自分に従う人間にはポストや金を与え、従わない人間には処罰や冷遇、排斥という仕打ちをする。だからこそ、彼の周りに残っている側近たちはゴマすりの茶坊主ばかり〉などと評している。

 記者時代、国政への転身を打診されたこともあった。

橋本氏の地盤の引き継ぎを辞退

 1934年、茨城県潮来生まれ。後に田中角栄内閣で幹事長を務め、田中派の大番頭と呼ばれた橋本登美三郎氏の地元で、父親は橋本氏の有力な支援者だった。

 田中派に詳しい政治評論家の小林吉弥氏は言う。

「橋本氏は角栄さんの兄貴分で信頼された。放送法を含む電波三法の成立(50年)に尽力、NHKの生みの親といえる存在で絶大な影響力を保ち続けた。NHK予算は国会の承認が必要で、局の側も国会対策のため議員との関係が欠かせない」

 橋本氏と同じ早稲田大学政治経済学部に進み57年に卒業。NHKに入局したのも橋本氏と相談の上だ。

 佐藤栄作氏の派閥を皮切りに田中派を担当。ロッキード事件が影を落とす。

 80年の衆院選で橋本氏は落選。海老沢氏は地盤の引き継ぎを依頼されたが、またとない好機に辞退してしまう。この時期、実兄が事業に失敗、一族は混乱していたのだ。代わりに後継者となったのが、現在衆院議長の額賀福志郎氏である。

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