「総理になれなかった男」玉木代表は「一発屋」に仲間入りするのか 「嫌われ者」が浮かんでは消えていく
コロコロ変わる「次の総理」
次の総理とも言われていた玉木雄一郎・国民民主党代表が、あっという間に政局の中心から外れてしまったのは記憶に新しいところだが、こうした急上昇と急降下はこの十数年しばしば見られた現象である。
民主党政権への失望、自民党の支持率低下を背景に、週刊誌やネットメディアでよく見られるようになったのが、ちょっと目立つ言動の政治家が登場すると「次の総理」と持ち上げる記事だ。見出しの文言をピックアップしてみよう。
速報「おこめ券」が不評の鈴木農水相 父親に“あやしい過去”が… 後援会幹部は「あいつは昔、週刊誌沙汰になったことがある」
2010年代、目立つのは橋下徹氏(元大阪府知事)への期待感を示す記事。特に週刊現代の肩入れぶりは見出しを見るだけでもなかなかのものだ(見出しの一部をピックアップ、以下同)。
「風雲児! 橋下徹が総理大臣になる日」(2012年5月12日号)
「総理は安倍より橋下でしょ」(2012年10月13日号)
「次の総理は橋下徹にやってもらうほかない」(2012年11月24日号)
同様に、2010年代にスターとなったのは、れいわ新選組の山本太郎代表だ。
「山本太郎首相に現実味?」(SPA! 2019年8月20日号)
「山本太郎疾(はし)る 野党まとめ『首相獲り』へ」(月刊テーミス 2019年12月号)
橋下氏が政界から距離を置き始めた後は、維新の会の吉村洋文氏への期待を示す記事も出てくる。
「もし『吉村洋文・大阪府知事』が総理大臣になったら」(週刊ポスト 2020年6月5日号)
「吉村洋文大阪府知事は『総理の器』か?」(週刊プレイボーイ 2020年6月1日号)
なぜか「玉木」推しの週刊文春
石破政権の支持率低迷で、「玉木総理」論が目立つようになったのは記憶に新しいところだろう。ここではどういうわけか週刊文春がノリノリだ。
「もし玉木雄一郎総理ならトランプ恐慌に勝てるか?」(2025年4月24日号)
「自民39議席壊滅で石破リコール 玉木雄一郎総理“爆誕”へ!」(2025年7月31日号)
他に与党政治家ではないのに「総理になったら」といった観測記事が出た人物としては、少し前ならば宮崎県知事時代の東国原英夫氏、直近ならば参政党の神谷宗幣代表あたりが挙げられる。
こうして振り返ると、改めて「賞味期限」の短さもよくわかる。それぞれの人物は真面目に己の信念や政策を掲げているのだろうが、それ自体への関心もあっという間にしぼむことが珍しくない。まるで「一発屋芸人」のようだ。
ノンフィクションライターの石戸諭氏は、著書『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』で、吉村洋文氏や山本太郎氏を「嫌われ者」の一人として取り上げている。ここでいう「嫌われ者」とは、文字通りの意味というよりは「時に大衆を熱狂させ、時に炎上の的になるメディアの寵児たち」を指す。吉村氏や山本氏本人への取材も経て、石戸氏はなぜ彼ら「嫌われ者」の人気は長続きしないのかについて考察をしている(以下、同書から抜粋・再構成しました)。
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一発屋の打ち上げる花火
「反マスメディア」「反LGBTQ」「反左翼」「反右翼」……何を標榜しても辿る道は同じになるように思える。すなわち一部の熱狂やSNSを見て「ここに本当の世論がある」と叫び、自分たちの主張を取り上げないニュースを嘆く。自分たちの主張の拙さを棚にあげる。彼らはメディアをにぎわす「一発屋」のようなものだが、一発がないままに去っていく政治家よりははるかに際立った個性がある。しかし、一発ではやがて支援者のあいだにも違和感がやってくる。最初期の一発は大切なことまでは認めるが、政治家の本当の力量は一発で惹きつけた先に試されるものだ。
メディアは一発の大きい花火に注目するが、華々しく散った後には何も注目しない。
ポピュリズム一本でほとんど革命に近いダイナミックな変化を叫ぶよりも議会の中で継続的に活動し、小さな花火を打ち上げながら政党として成長を目指したほうが変革に近づくのだが、それはムーブメントとは縁が遠くなり、やがて普通に議会にいる一派になることを意味する。
コアな支持者を手放すリスクを負いながら、綱渡りのような組織運営ができるのか……。多くのポピュリストたちは地道さを嫌い、常に大きな花火を打ち上げようとするが中途半端なものでは支持者を刺激することすらできない。組織を強くしていくという方向を取ることもできるが、それはポピュリストから「政治家」への変化となり、普通の存在になる。結果、魅力が薄れて社会から忘れられていく。幾度となくみたその時々の「新党」や「新しい政治家」の成れの果てだ。
いずれにせよ、「新しい政治家」像は時限つきで、どこかで変化がやってくるものだ。
ポピュリズムの風は選挙によって定期的に吹くが、じきに新しい存在があらわれる。彼らは「時の人」になるが、やがて古くなる。私たちにできることといえば、風に右往左往しないということに尽きるだろう。彼らの勢いはすぐ収まってしまうか、やがて変化しなければいけないのだから。
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民主党や自民党との連立を選ばなかった玉木氏の決断に関しては、一発屋で消えることを避け、地道な道を選んだという評価も可能だろう。また、高市新総理の高支持率には、「一発屋」的ポピュリストに飽きた人たちの存在が背景にあるのかもしれない。











