「初々しい“ぶりっ子ポーズ”で安倍首相に大接近」 高市早苗氏、初当選時の初々しい姿も
10月4日、大方の下馬評を覆す逆転劇を経て、自民党の新たな総裁に就任した高市早苗氏(64)。これまでの道のりを振り返ってみると……。
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【写真7枚】今にも谷間が見えそうなボディコンスーツ姿の「高市早苗氏」 “ぶりっ子ポーズ”で安倍首相にすり寄るシーンも
麻生太郎氏が最前線に
自民党本部4階の一番奥にある総裁室に足を踏み入れた高市氏は、
「大変な重責を担ったという緊張感がございます」
それから3日が過ぎた7日、新執行部の人事が発表され、高市自民党が本格的に動き始めた。
党四役に鈴木俊一幹事長(72)、有村治子総務会長(55)、小林鷹之政調会長(50)、古屋圭司選挙対策委員長(72)。そして石破総裁のもとで党最高顧問という名誉職に押し込められていた麻生太郎元首相(85)が副総裁として再び最前線に戻ってきた。むろん彼らは高市逆転劇の貢献者たちであり、なかんずく麻生氏は仕掛けた張本人である。
同日午前9時過ぎ、党本部6階の総務会室に新メンバーが集った。報道陣の求めに応じて笑顔でガッツポーズを決める。
だが、麻生氏の復権は派閥政治の回帰を示唆し、幹事長代行には“裏金議員”と呼ばれる萩生田光一氏(62)が就く。こうしたさまざまなしがらみを抱えて、果たして「解党的出直し」と言うことができるのだろうか。
ボディコンスーツに身を包んで
そんなスタートを切った新しい「自民党の顔」の議員としてのスタートは無所属だった。
1993年7月、衆院奈良県全県区でトップ当選。胸元が大きく開いたボディコンスーツ姿で、選挙事務所に集まった数百人の支援者たち一人一人にお礼の握手をして回っていた。
この前年には悔しい思いをした。92年の参院選に向けて自民党奈良県連に公認申請したが、もう一人の候補に敗れ、帰りの車中で一人涙を流した。結局、参院選は無所属で出馬して惨敗。その翌年の衆院選で雪辱を果たしたのだ。
恋人同士のように顔を近づけ……
彼女が政界入りした当時は、政界再編の真っただ中。当初は無所属で活動していたが、94年に結成された自由党に参加し、再編の流れのままに新進党の結党メンバーに。政界再編の中心人物でもあった羽田孜、小沢一郎と並んで党首選の出陣式に臨み、政界での存在感を高めていく。
そんな若き女性政治家にはまた転機が訪れる。96年に2選を果たした直後に、小沢新進党党首が掲げた大規模減税策に反対して離党。すぐに自民党入りすると、そこでも大物との距離を詰めていく。2000年7月に第2次森喜朗内閣が誕生すると、「勝手補佐官」を名乗って森氏に急接近。01年5月の派閥のパーティーでは、恋人同士のように顔を近づけ親しげに談笑していた。
06年に発足した第1次安倍晋三内閣では内閣府特命担当大臣として初入閣を果たす。翌年1月の衆院本会議では、ハンカチを口元に当てて安倍首相にすり寄る姿も。現在のタカ派イメージからは想像もつかない。
こうして、その時々の実力者に引き立てられて、ついに総裁に上り詰めた。次は総理の座。その先の手腕が問われる。









