「悲しきヒットマン」76歳で逮捕! 18年間の逃亡劇で注目される支援者の名前

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多三郎一家組長の刺殺事件

 バブル景気の最中、1988年に刊行されたルポルタージュ『悲しきヒットマン 最大組織山口組・抗争と人間の実相』は大いに話題を呼んだ。著者は当時山口組の顧問弁護士を務めていた山之内幸夫氏。インサイダーならではの視点と情報が盛り込まれていた同書は三浦友和主演で映画化もされた。

 それから37年――4月に6代目山口組が一方的な抗争終結宣言を出し、その後に若頭が交代して以降、目立った話題がなかった中で久々にヤクザ業界を驚かせる“事件”が起きた。

「悲しきヒットマン」のモデルとされる組織幹部の長きにわたる逃亡劇にピリオドが打たれたのだ(文中の組織は当時の名称の場合もあります)。

 まずはおおもとの事件について触れておこう。2007年5月、神戸市で6代目山口組の3次団体・多三郎一家(上部組織は4代目山健組)の後藤一男総長が刺殺される事件が発生。2010年、4代目山健組若頭で健國会の山本國春会長が事件の指示役として組織犯罪処罰法違反(組織的殺人)容疑で逮捕・起訴された。1審は無罪だったが2審で懲役20年の逆転有罪判決が下り、その後に確定。2021年に死去した。

現場指揮役

 後藤総長は刺殺される前、服役中の司忍組長に代わって組織運営を担っていた高山清司若頭とその出身組織・弘道会を公然と批判しており、それを看過しがたいと判断した上部組織が口封じのために殺害したとされた。

 上部組織にあたる4代目山健組トップは井上邦雄組長。殺害から8年後の2015年、組織を割って神戸山口組を立ち上げた際の中心人物として知られる。この分裂の際の大義名分も弘道会支配への異議申し立てだった。かつて実力行使で排除したはずの論理を、今度は自ら持ち出したということになる。

 この「口封じ」事件で18年ぶりに動きがあった。10月26日、兵庫県警が現場指揮役と見て2009年から指名手配していた当時の4代目山健組傘下・一勢会会長の勢昇(せい・のぼる)容疑者を組織犯罪処罰法違反(組織的殺人)の疑いで逮捕したのだ。勢容疑者は組織から命じられた任務をこなす名目で後藤総長を刺殺した疑いが持たれているのでこの罪状となっている。

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