バスは減便、クマ大暴れ… 過疎化する地方の“切り札”「コンパクトシティ構想」は実現不可能な夢物語だ
住宅市場で「安価な選択肢」として残存してしまう
いくら地価が下がった地方部とは言え、一定水準の住宅を取得するとなればある程度まとまった出費が必要になる。決して安くない家選びにおいて、ほとんどの住民が重視するのは通勤や子供の通学、あるいは日常の買い物などの利便性であり、「都市計画」「まちづくり」を念頭に家選びを行う住民はまれであろう。
家選びの動機は住民それぞれ固有の事情があり、第三者から見て必ずしも合理的な判断とは言えない選択も当然ありうる。いずれにせよ公共交通網が著しく衰退した現在の地方部においては、かつての鉄道駅や商店街などを中心とした既成市街地が、必ずしも現在の住民のニーズに合致していないことが多々あり、結局はどんなエリアに居住しようと自家用車による移動が大前提となっている。
そうなると、いくらインフラが後退しようとも、郊外の住宅分譲地程度の立地条件であれば、地域の住宅市場においては安価な選択肢として残存してしまう。
かつてのわが国では産業構造や時代の変化に伴い中山間地の集落や鉱山町から住民が消え、街や集落が消滅した事例は数多くある。ところが山村や鉱山町と異なり、乱開発の分譲地は、短期的な自然消滅を期待するには都市部からあまりに近く、多少不便を強いられても、安ければ利用者は現れるものだ。
そして実際、現在のこうした住宅分譲地は、まさに「廉価品」として機能している。近隣住民が住み替え用途で取得するのが一般的だが、不動産投資家が取得して賃貸物件として再利用するケースもある。かつての高度成長期と比較すれば子供の数は極端に減り、地域から若い活力が失われつつあるのは事実だが、一方で今なお各戸の行く末は各所有者の自由意思のみに委ねられており、短期的に住民が一斉に消えるような状況は起きていない。
現行の法制度では、こうした各住民や利用者・購入者の判断に、金銭的補償が伴わないまま、行政権限が介入できる余地はほとんどないだろう。地域インフラが抱える課題・問題を挙げれば、対策は不要であると考える住民は少ないと思うが、行政も住民も、まるで実現不可能な夢物語に注力している余裕はないのだ。
地方の衰退と言われて久しいが、それは交通不便なエリアから順に都市機能が収縮しているのではなく、空き家の増加も含め、都市機能が虫食い状に荒廃しているエリアが少しずつ拡大している、つまり都市機能の密度が低下しているというのが正確な表現である。
「田舎の方は人口が減っているから不要なインフラを削りましょう」と、単純に考えられるほど地方都市は規則正しく衰退していない。筆者もこうした小規模自治体の古い分譲地で暮らす住民の一人なのだが、地域の荒廃という課題に対し、特効薬として作用するような施策などまるで見当もつかないというのが正直な意見である。
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