バスは減便、クマ大暴れ… 過疎化する地方の“切り札”「コンパクトシティ構想」は実現不可能な夢物語だ

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空き地だらけの住宅地に公金を投入し維持する意味は

 道路にせよ上下水道にせよ公共施設にせよ、あらかじめその配置を事前に決定したうえで、計画的に住宅建設を進めていくのが理想的な都市計画のありようだが、価格の安さを最大のセールスポイントとして開発されたこれらの投機型分譲地は、上下水道もない、場合によっては道路が舗装されてもいない山林や遊休地を造成しているところもある。

 業者は造成費用を安く上げるために開発規制の緩い小規模自治体を狙い撃ちにして、単に交通不便なへき地に過ぎない分譲地を「これから伸びる地域」と言った謳い文句で乱売してきた。

 乱開発のターゲットとなった自治体は、確かに人口が一気に増加して宅地化が進んだものの、野放図に広がり続ける住宅地のためのインフラ整備に追われ続け、逆にその費用が財政を圧迫していた。9割が空き地の分譲住宅地は極端な例ではあるが、かつては普通の郊外住宅地として機能していた一般の住宅団地であっても、地域の不動産市場での競争力を失い、徐々にベッドタウンとしての役割を終えつつある所は数限りなく存在する。

 こうした空き地だらけの低密度の住宅地は、都市計画やまちづくりの観点から見れば極めて非効率なものである。中心市街地から遠く離れ、人口密度も低く、今後都市化して発展する見込みもない地域のインフラを、公金を投入して今後も維持していくことが果たして合理的な選択なのか否かについては、回答はすでに出ていると言っていい。

 むしろ冒頭で紹介した南伊豆町の事例のように、あえてインフラを「後退」させる方がより合理的な選択となるケースもあるだろう。

 しかし肝心の住民の居住地域については、各地の自治体が居住誘導地域を定めて都市部の集約を図るものの、その実現は遅々として進まない。財政上の課題のほか、個人の住宅の「所有権」に行政権限でどこまで介入できるか、あるいは住民の居住地選択の自由意思をどこまで制限できるかという「権利」に関わる問題も確かにあるのだが、それ以前の話として、そもそも都市機能の集約という発想そのものが、地域の重要課題として広く認識されていない事が最大の理由だ。

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