ネット動画で話題沸騰!「昭和の明治大学野球部」の真実をOB「広澤克実氏」が激白…御大こと「島岡吉郎監督」が部員の前で“刀”を出した瞬間

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 東京六大学野球の秋季リーグ戦は、明治大学野球部が圧倒的な強さを見せつけた。10月19日に早稲田大学を1−0で破って5季ぶり44度目の優勝。さらに27日には立教大学に15−0で大勝し、リーグ通算6度目となる開幕10連勝の完全優勝を達成した。明大野球部の創部は1910年。これは明治43年にあたり、当時の首相は台湾総督や陸軍大臣を務めた桂太郎だった。(全2回の第1回)

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 ちなみに、1910年8月には日韓併合が行われている。明大野球部は今も名門として知られ、今年のシーズンで活躍したプロ野球選手の数は25人。“プロ選手・出身大学ランキング”の1位に輝いた。

 そして、ネット動画でも明大野球部が注目されているのをご存知だろうか。それも昭和の野球部で繰り広げられた人間味溢れるエピソードの数々が一種の“爆笑動画”として人気を博しているのだ。

 例えば球史に残る名捕手、古田敦也氏のYouTubeチャンネル「フルタの方程式」でも昭和の明大野球部を特集しており、再生数も多い。うち4本のタイトルをご紹介しよう。


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 古田氏の動画で重要な役割を担っているのが、野球部OBの広澤克実氏だ。広澤氏は栃木県立小山高校を卒業すると、1981年に明大へ進学した。

陰惨なイジメとは無縁

 東京六大学リーグでは2シーズン連続で首位打者のタイトルを獲得するなど、明治の主砲として活躍。84年のドラフトで日ハム、西武、ヤクルトが1位指名し、抽選で交渉権を獲得したヤクルトに入団した。ちなみに古田氏は1990年に入団している。

 先に紹介した4本の動画は、いずれも同じ構成になっている。まず広澤氏が野球部員だった頃の抱腹絶倒のエピソードを披露。その後、広澤氏のインタビュー動画を3人のOBが視聴し、話の“真偽”を判定しながら、それぞれの思い出も語っていく。

 OBは全員が投手。顔ぶれは鹿取義隆氏(巨人・西武)、武田一浩氏(日ハム・ダイエー・中日・巨人)、川上憲伸氏(中日・ブレーブス)、の3人だ。そして広澤氏のエピソードは「全くの事実であり、盛ったところはない」と太鼓判を押されている。

 改めて広澤氏に取材を依頼すると、「良くも悪くも昭和の時代だからこそ許された強烈なエピソードばかりです。それを懐かしい、面白い、と受け止めてもらっているのかもしれません」と言う。

「大前提として、当時は小学校から高校まで、先生が生徒に体罰を振るうことは容認されていた時代でした。勉学の場でさえそうですから、部活動では現在よりもはるかに厳しい指導が当たり前だったのです。私が通った栃木県立小山高校は進学校の側面がありましたが、それでも野球部の指導は非常に厳しかったですね。もちろん当時の明大野球部の指導方針は、現在では受け入れられるものではありません。それでも明大野球部の思い出話に興味を持ってくれる人がいるというのは、陰惨なイジメや暴力といった深刻な問題とは無縁だからではないでしょうか」

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