“熊殺し”の異名はあれど…伝説のプロレスラーですら熊とは「もう二度とやりたくない」 クマと人間の“異種格闘技戦”を振り返る
藤原組長も……
人に慣らされた熊でもこんな極めて厳重な処置が必須の中、野性の熊と一騎打ちしたプロレスラーもいた。往時の新日本プロレス道場では実力№1とされた、“関節技の鬼”、藤原喜明である。
発端はテレビの企画だった。1993年10月より翌年3月まで、TBSにてドラマ「オレたちのオーレ!」が放映予定だったが、こちらが年内で打ち切られ、翌年1月から3月までのコンテンツが空いてしまった。そこで急遽、3ヵ月のみ放映の予定で「爆裂!異種格闘技TV」という番組に差し替えられた。さまざまな人物や事柄を異種格闘技として対決させるという内容で、もともと3ヵ月で終わることが決まっていたこともあり、過激な“対決”が続出した。その1つが藤原vs熊だったのである。
放送は1994年の1月だったが、カナダの熊との対戦が収録されたのは前年の11月30日だった。藤原が渡加出来るのはスケジュール上、この前後しか空いていなかったのだ。後に筆者の大学の講演会に来た藤原の話では、番組側からは、「ペットとして飼われている熊だから大丈夫」と聞いていたという。
現地に着いてみると、熊は大型犬より更に一回り大きい印象で、しかも、林に設置された檻の中で、明らかにイライラしている。そこに、2メートル近い男性が現れたが、頭から血を流している。聞くと、この熊の飼い主で、檻に閉じ込める際、暴れられたのだとか。そして彼の奧さんはこう言った。
「夏の間はいい子なんだけど、今は冬眠の時期なのに、強引に起こしているから、近づいたら、殺されるわよ、飼い主の私たちでも」
結果、檻の中に入れられた藤原は、熊から2度のタックルを食らい、その時点で収録がストップ。この時、同行していた藤原の愛弟子・石川雄規は、藤原の様子から命の危険を察知し、番組関係者に今すぐ収録を止めるよう、何度も訴えたという。2度の体当たりで済んだが、こういった周囲の行動がなければ、藤原の命はなかった可能性もある。事後、ロケバスで映された、藤原の呟きが忘れられない。
「生きてるんだな。ラッキーだったな」
熊が人里に下りて来るのは、冬眠のための食糧が森の中にないのが一因とされる。特にこの11月から12月は、熊がそれを探す時期。折り悪しく、今、熊に遭遇する可能性はより高まっていると言える。鍛え上げたプロレスラーでも敵わない動物である。各自、自衛の意識を持って過ごして頂ければ幸いだ。
[3/3ページ]

