競輪は「推理小説」、観客は「探偵」と喝破した名優・中村敦夫…大の競輪ファン「紋次郎先生」が語った“敗北の美学”とは

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「これが大衆か」

 10年前に「紋次郎ギャンブル雑記帳」という連載をやっていただいた。

 競輪の沼にハマったのは「木枯し紋次郎」が大ヒットした1972年。「あっしには関りのねぇこって」の名セリフが社会現象になり、巷では妻折傘に道中合羽姿の紋次郎が、長楊枝を咥えてプイッと拭き飛ばすマネが流行った。ドラマの視聴率は30%を超えた。

 その夏、撮影中にアキレス腱を切り、休んでいたのだが、船乗りでのちに作家になる谷恒生がやってきた。退屈しのぎに谷に連れて行ってもらったのが立川競輪場だった。平日でも、競輪場に5万人が集まる時代である。

 負けた選手に「アホ!」「タコ!」「テンプラ!」と容赦ないヤジが飛んだ。とにかく人々の熱気で競輪場が沸騰していた。「これが大衆か」と感動した。

 周囲が「あれ買え」「これ買え」といわれるがままに買うと、的中の連続。帰る頃にはポケットが札束で膨らんでいた。そのビギナーズラックで「自分が天才ではないかと妄想した」そうだ。

 しかし、ギャンブルをやっていると誰もが経験するのが、来る日も来る日も負け続け、ツキに見放されることだろう。

 紋次郎先生は一時期、テレビ東京が放送する特別競輪(現G1)で、作家で後に浄土宗の宗務総長(国でいえば首相)に就いた寺内大吉と解説をしていたことがある。寺内とは新宿高校の同窓生で家が近く、共通の知人がいる間柄だった。

 ツキについての寺内の話である。

 麻雀のツキは人につくのか、場所につくのかデータを取ったが、結果はどちらでもなかった。では、ツキはどこに行ったのか。寺内の答えはこうだ。

「麻雀台の中央から40センチくらいの中空にあるらしい。それを掴んだものが勝つ」

 禅問答のようだが、この実験を手伝った編集者が3日後に突然死した。見てはいけない世界をのぞいたのがたたったのか……。とにかく含蓄のある話が多かった。

「負けた時に微笑みを」

 24年、紋次郎先生は暮れの大一番、KEIRINグランプリの車券も買った。

 買い目は絞りに絞って3連単1着(1)で固定、2着は(3)(4)(6)(7)(8)、3着(9)の5点。3連単の買い目は504通りあるから100分の1の確率。この3連単5点を各2000円、合計1万円である。

 結果は(1)古性優作が優勝し、3連単(1)(6)(9)がズバリ的中! 配当は思っていたよりついて1万9300円、紋次郎先生は約40万円を懐にした。

 連載にはこんな一文がある。

〈あれこれ買い過ぎたら元が取れない…負けてもよいと覚悟する。そうすれば負けても事実を潔く受け入れることができる〉

 そして、次が名言である。

〈「負けた時に微笑みを」
 競輪はある意味で「敗北の美学」かもしれない〉

 大勝したGPの翌日は大晦日。紋次郎先生にお会いしたら、大入りのポチ袋に入ったご祝儀を手渡された。1日早いお年玉をありがたくいただいた。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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