競輪は「推理小説」、観客は「探偵」と喝破した名優・中村敦夫…大の競輪ファン「紋次郎先生」が語った“敗北の美学”とは
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さん。これまでの取材データから、俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第40回は、峯田さんが「紋次郎先生」と私淑する、俳優の中村敦夫さんです。キャスター、作家、国会議員など、中村さんの多彩な活動は広く知られていますが、峯田さんがよーく知っている、中村さんのもう一つの顔に迫ります。
【写真を見る】紋次郎先生も注目!? 元プロ野球選手だった競輪選手
競輪はシャーロック・ホームズ
暮れになると、公営ギャンブル業界も1年の総決算で競輪、競馬、ボート、オートのグランプリ(GP)レ―スが行われる。
「競馬、競輪」と言わないのは1979(昭和54)年まで競輪が競馬(JRA)の売上を上回っていた名残だ。GPは売上もさることながら、年度代表を決めるレースで、ファンにとっては少しだけ生活もかかっているからレース場は熱狂の中、歓喜と悲鳴の渦に包まれる。
時代劇「木枯し紋次郎」で一世を風靡した中村敦夫(85)は50数年来の大の競輪ファンとして知られ、筆者が勤務していた夕刊紙のGP予想記事のトップを長らく飾っていただき、競輪の年度表彰選手の選考委員も務めている。
紋次郎先生(あえてそう呼ばせてもらう)といえば、二枚目俳優の他にキャスター、日本ペンクラブで活躍する売れっ子作家、そして国会議員と、実に4つの顔を持つことで知られる。が、それが表の顔なら、裏の顔(失礼!)はドラマで演じた「あっしには関わりのねぇこって……」と呟く、ニヒルな渡世人つながりのギャンブラー……要するに、硬軟併せ持つ稀有なキャラクターなのである。
俳優や社会派としての評価は他にお任せするとして、興味深いのは「軟」のギャンブラーとしての顔である。
最初にお目にかかったのは30数年前。例年11月に九州・小倉競輪場で行われる競輪祭だった。関係者席に座りモニターでオッズを見ていたら、大柄で度付きサングラスをかけ、ただならぬ雰囲気を漂わせた人から声をかけられた。
「一番人気は何ですかね?」
「アッ、紋次郎だ!」と、すぐにわかった。
その後、ちょくちょくお会いするようになったのは東京・調布にある京王閣競輪場。筆者は芸能とともに競輪も担当し、一時期は京王閣のナイター競輪の予想をやっていた。最終日は翌日の作業がないので関係者席で車券を買うのだが、そこには必ず紋次郎先生の姿があった。一緒に並んで先生と打(ぶ)った。ある時、こんな提案があった。
「温泉につかりながら、みんなで競輪をやりたいもんだね」
それならと、夕刊紙主催の「中村敦夫と行く伊東温泉けいりんツアー」を企画することになった。集まったのは総勢30人。
乗り込んだバスのお楽しみは、紋次郎先生ならではのトーク。ギャンブラーとしての持論は「競輪は犯人探しのゲーム」。紋次郎先生いわく、競輪は推理小説に似ている、観客一人一人は探偵のようなもの、深い読みで大穴を当てる人は、名探偵シャーロック・ホームズに匹敵する……。
「競輪を続けるのは、推理が当たった時の何ものにも替え難い喜びのため。何せ想像していたことが、5分後には目の前で展開されるからたまらない。『俺こそはシャーロック・ホームズだァ!』と叫びたくなる。しかし、シャーロック・ホームズのようにうまく犯人を探せないと『シャーロック・ホームレス』になる」
ここで一同大爆笑。
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