持論をまくし立て、出演者を挑発…どんどん時代遅れになっていった「討論エンタメ番組」

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出演者を挑発

「朝まで生テレビ!」のような討論番組では、実際にはまともな議論が展開されることはほとんどなかった。出演者がお互いに相手の言葉を遮るようにして持論をまくし立てているだけであり、それが建設的な実のある議論になることはなかった。強引に話をまとめたり、出演者を挑発したりするような田原氏の番組の進め方も、どんどん時代遅れのものになっていった。

 インターネットの普及によって、もはや「テレビの中でだけ言いたいことを言う」という構図は崩壊した。いまや誰もがSNSやYouTubeで自由に意見を発信できるようになり、討論番組の価値は大きく薄まった。

 さらに、荒々しい言葉に対する世間の見方も変化している。かつては格闘技のような感覚で受け止められてきた激しい言葉の応酬は、今ではハラスメントのように映る。政治や社会にまつわることに関して、それぞれの専門家の見解を知りたいのであれば、YouTubeなどで手軽に情報を得ることができる。わざわざ好き好んでノイズの多い暴言や暴論をウォッチする意味がない。

 討論エンタメ番組の構造的な問題は、そもそも「対立を演出しなければ番組が成立しない」という点にある。出演者たちは無意識のうちに番組を盛り上げるためにわざと挑発的な言葉を選んだりする。制作者もそれを期待しているし、司会の田原氏も対立を煽ったりする。議論が「勝ち負けのあるゲーム」にすり替わり、視聴者も「どちらが勝っているように見えるか」という表層的なところにしか興味が持てなくなる。田原氏の問題発言も、そのような構造の中で「場を盛り上げるための過激な言葉」として思わず口にしてしまったことなのだろう。

 田原氏の暴言騒動は、討論エンタメ番組の時代の終わりを象徴するものだ。そのフォーマットが生まれた当時は、それが時代の先端だったのだが、今となっては時代遅れのものになっている。経済的にも不安定な状態が続くこの国の人々が求めているのは、「暴論のぶつけ合い」ではなく「実のある対話」なのだ。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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