「礼儀正しいロックンローラー」 五木寛之が見た内田裕也の“意外な素顔”

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【全5回の第2回】

 破天荒なロックンローラー・内田裕也が見せた、意外な“礼儀正しさ”と“シャイな素顔”――。

 昭和7年生まれの作家・五木寛之さんは、戦前・戦中・戦後を通して「昭和百年」の大半を生き抜いてきた人物だ。

 そんな五木さんが語る、音楽と人間の記憶には、“昭和の息づかい”が詰まっている。

 最新刊『昭和の夢は夜ひらく』(新潮新書)から5回に分けて紹介する本企画、第2回は、ロックと青春が交差する昭和の一幕。

 ***

内田裕也という人の片影

 故・樹木希林さんの生前の発言集が何冊もでて、すでに計百万部をはるかにこえる売行きだという。

 その一冊のなかに掲載されている一枚の写真を見て、びっくりした。彼女が一台のフランス車を前に写っているめずらしい写真である。なんと希林さんは、その車(シトロエンの2CV)が気に入っていて、ずっと同じ車種を何台も乗りついでいたという。

「どうして彼女の本があんなに売れてるんでしょうね」

 と、ある出版社の人が、どこか口惜しそうな口調できく。

「さあ、本の売行きには一般的な法則というものは通用しないからね。でも――」

「でも?」

「彼女の本の売行きを背後で支えてるのは、ひょっとすると、内田裕也という人の存在なんじゃないのかな」

「なるほど。彼の存在が、いや、非存在(注:原文は傍点)があの本を支えている、と」

「勝手な意見だけど」

「二人の合作、ということですかね」

 と、相手は納得したような、しないような顔付きだった。

 先週、古い雑誌を捨てるために整理していたら、内田裕也さんと私の対談が載っている雑誌をみつけた。偶然とはいえ、ふしぎな気がした。

 一九七三年の『NEW MUSIC MAGAZINE』五月号である。いまから四十六年前の記事だ。

〈歴史の連続性をリズムで断ち切ろう〉

 と、いかにも七〇年代らしいハッタリのきいたタイトルがついている。つい片付けの手を休めて、読みふけってしまった。

 内田裕也という人のイメージは、なんとなくロック界のトリックスター的な感じで世間に流布している。しかし、私の記憶の中の内田裕也は、どこかひたむきな青年っぽい印象である。その雑誌に載っている彼の写真もどことなくシャイな若者という感じだ。半世紀ちかく前の対談だから、こちらも若かった。私のほうも無精ひげなどを生やしているところが笑える。

ロックに犯されて

 対談はこんなふうに始まった。

 内田 どうもしばらくです。

 五木 お会いするのは何年めですかね。

 内田 どのくらいかな…、4年ぐらいだと思うんですけど。最後は、沢田研二と一緒に…。

 五木 そうでした。

 といった調子で、ちゃんと先輩あつかいをしてくれる古風な礼儀正しさがあった。

「最近なんか穏やかになったんじゃない?」と私がきくと、「そうでもないすけど、きょうはちょっとテレもあって、まだ本来の姿にもどってないんですけどね」と苦笑する。

 私が偉そうな話を一席ぶつと、彼はうなずきながら、おだやかに応じる。「ウーン、なるほどね」と相槌を打ちながら、こう言った。

 内田 ぼくは歌のほうはまったく自信ないんですけど、もう一度現役でやってみようかっていう気になってるんです。古典的なロックンロールを紹介して、それを聞いた若いやつが、リズム感みたいなものを感じてくれたら一番いいんじゃないかと思うんですね。

 ぼくは昭和14年生まれなんですけど、最初聞いて一番ショックだったのは、やはり「ロック・アラウンド・ザ・クロック」とか「ハートブレイク・ホテル」とかね。聞いたときゾクゾクッとして、一種その、犯されちゃったみたいな、それ以外の音楽には感じなくなっちゃうというか……。

昭和の青年のひたむきさ

 話がマス・メディアの中での音楽のあり方に触れたとき、内田さんは急に多弁になってこう話しだした。

 内田 ぼくなんかもハッキリ言って、最近この、ぼくなりの自信みたいなものもできてきて、去年だったら五木さんと会ってても、もっと、うつむいてしゃべらなきゃならない状態だったと思うんですけど…。本でもそうだと思うけど、できあがったときはもうひとつの商品だと思うんですよ、絶対に。五木さんなんかでも、まぁとうようさん(中村とうよう)でもそうだろうけど、書いているとき、ってのがね、一番感動があるというか…。ぼくなんかも、なまじ音を出すときに、一番人間として感動があるわけですね。そこに文字との違いもあるんだろうけど、ぼくなんかどんな小さな場所でもなまでやれるという強みがありますからね。レコードになっちゃえば、まぁあのときはこういう状態でやってたんだな、というひとつの記録というか、反省の材料というか…。さっきもぼくがこんど吹込んだLPを聞いて、とうようさんが言ってたんだけど、あ、やっぱりきれいに歌おうとしてたんだな、とか、っていうふうにね。

 口ごもりながら真剣に話す内田裕也さんの表情には、青年らしいひたむきさがあふれていたように思う。人には常にいろんな面があるものだ。

 彼も昭和の青年だったんだな、とあらためて思った。 (2019・5・16)

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