「もう一度作り上げることが使命」 沖縄「首里城正殿」復元の最終段階は目前…焼失した6年前に決意を語っていた関係者たちの今
時代を超えて脈々と息づいてきたもてなしの場
復元の折にはまた、意外な逸品が力を発揮していた。1853年、米国のペリー提督は浦賀に来航する前、琉球に立ち寄って首里城を訪れているのだが、
「その時の模様を、提督に同行した版画師が描いていて『ペリー提督日本遠征記』という本にも収められています。その中に、北殿で催された宴会の様子を描いたものがあり、北殿内部を再現するのに大いに役立ちました」
とは、先の田名館長。その北殿では、2000年の沖縄サミットでも各国首脳を招いた夕食会が催された。もてなしの場は、時代を超えて脈々と息づいてきたわけだ。
「平成の復元作業」で王朝時代の歴史考証をはじめ、修復の全体指揮を担った高良倉吉・琉球大学名誉教授(72)=琉球史=が言う。
「33年前とは違って図面も残され、資料も整備されている。県内の職人さんの技術も育っていて、情報面や人材面のストックはあの時よりはるかに大きい。再び城をつくるのは十分可能なはずです」
(以上、「週刊新潮」2019年11月14日号「33年の『プロジェクトX』が一夜で灰燼に!それでも『首里城』再建を誓う『琉球史学者』『宮大工』『漆芸家』」より)
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人生の最後に首里城を救いたい
6年前、高良教授が「十分可能」と語った通り、首里城は復活の日に向けて着実に歩み続けている。
その高良教授は「令和の再建」に際し、内閣府の「復元に向けた技術検討委員会」で委員長を務めている。2025年9月には「第35回福岡アジア文化賞」を受賞。授賞式では「あと10年かかる」という正殿以外の復元にも意欲を示し、「人生の最後に首里城を救いたい」と強い決意を口にした。
第1回に登場した奈良国立文化財研究所(現・奈良文化財研究所)元所長の鈴木嘉吉さんは、2022年12月16に死去(享年93)。古代寺院建築の専門家として、首里城以外にも正倉院御物や法隆寺東室、興福寺中金堂など数多くの修理・再建に携わった。
田名真之さんは沖縄県立博物館・美術館の館長を退任したが、内閣府の「首里城復元に向けた技術検討委員会」では委員を、沖縄県の「首里城復興基金事業監修会議」では委員長を務めている。
琉球国王の玉座を作成した漆芸家の前田孝允さんは、2020年1月14日に死去(享年83)。妻の栄さんは孝允さんの死去に際し「最後まで首里城の再建に尽くす意欲に満ちていた」と述べた。新たに取り組んでいた玉座は、制作の依頼主にあたる琉球国王の子孫、尚家門中「水魚会」が引き継いだ。孝允さんは死去の一週間前、自ら同会に連絡し、玉座復活の協力を求めていたという。
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