高学歴でパパ活をする女子大生は本当に多い? 岸谷蘭丸の発言に若者世代もドン引きした理由
「頭の良さ」と「市民感覚の感度」はイコールではない 成功した2世たちに学ぶ「分かってない自分」を演じる賢さ
今回の蘭丸さんの発言で露呈したのは、「頭の良さ」と「市民感覚の感度」は別物という現実である。2世らしからぬ2世という触れ込みの蘭丸さんが接してきたのは、結局のところ海外志向や富裕層の人々、インフルエンサー、芸能関係者といった「都内で恵まれた世界に生きる人々」ばかりのようだ。そんな限られた世界で見聞きした現象を「世の中一般」に転用してしまった時点で、「賢い2世が繰り出す鋭いコメント」という前提が崩れてしまった。
「賢い2世」は、期待値が高いぶんだけ失言によるダメージも大きい。蘭丸さんの失言が示したのは、「“賢い2世”というブランディングは、誤った前提で語った瞬間、最も脆弱(ぜいじゃく)になる」という現実だ。
さらにSNS時代では、発言の一部分だけが切り取られて拡散される。前後の流れやその場のトーンが補足されないまま、「パパ活女子大生」「ギャラ飲み」といったインパクトワードだけが独り歩きし、発言の背景や意図はないがしろになる。結果的に、「やはり2世は浮世離れしている」というレッテルが強化されることとなった。
それに比べ、一茂さんや良純さんが炎上しない理由は明快だ。彼らの発言はときに無茶苦茶でも、「世間を分かっていない自分を笑っている」構造を保っている。言い換えれば、「分かってない自分を演じる知恵」があるのだ。
蘭丸さんはインテリジェンスを武器にしようと自覚しているがゆえに、振る舞いに「僕は分かっている」という無意識の優越感も漂ってしまっている。ただ、本当に賢い人は、賢さを見せびらかさないもの。「正論」よりも「共感できる余白」を持っている人の方が、結果的に上位のポジションを勝ち取ることもしばしばだ。
「バカっぽく見える賢さ」か「賢そうに見えるバカさ」か。この境界を読み違えた瞬間、2世の人気は失速する。さて、蘭丸さんの「ツキ」はどっちに出るだろうか。





