「異国情緒漂うイケメン俳優」だけではもう厳しい? 離婚発表がディーン・フジオカ(45)の分岐点になる理由

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

離婚で見えた「異国情緒」の賞味期限 良き夫、良き父という「理想の男性像」という幻想をどう乗り越えるか

 ディーンさんが今回、離婚を率直に公表したのは、ある種の誠実さでもある。SNS時代、瞬時に言葉の断片が広まりやすいからこそ、公式発表することが自分や家族を守ることにもつながるという判断もあっただろう。家族への配慮を示しつつ、過度に私事を切り売りしない。今回の公式コメントはその方向性を示している。

 特に朝ドラで人気を博した俳優は、「朝ドラ俳優としての矜持と清潔感」を過度に求められる。東出昌大さんの不倫騒動が最も代表的だが、ひとたび不義理なことをすれば、「国民を裏切った男」として大バッシングに遭うものだ。既婚者ながら家庭のことを滅多に語らない鈴木亮平さんのようなケースは、ある種のリスク回避策ともいえるだろう。

 ディーンさんにもまた、「国民的理想の男性像」としての期待の視線が注がれ続けている。今までノースキャンダルだったこともあって、良き家庭人としてのイメージも積み重なってきた。もちろんディーンさんはNHKだけでなく民放でもさまざまな役柄を演じており、悪役であってもそこに美学を感じさせる演技のできる人だ。歌手としての活動時はまた違った雰囲気があり、単なる爽やかなイケメンマルチタレントという賛辞では足りないだろう。

 とはいえ、まだ「カッコいい」の枠からはみ出ていない気はする。離婚をきっかけに、「異国情緒漂うイケメン俳優」一本で押し切るのも難しくなっていくだろう。エキゾチックな良き男、良き夫という「幻想」を、いかにリアルな等身大へ変換できるか。「父」と「アーティスト」のバランスを取りながら、どう新しいディーン像をつくり上げていくのか。それが、ディーン・フジオカという俳優が、今後「異国情緒」ではなく真の「グローバル」な感覚を持った俳優・アーティストとして、新たなステージに羽ばたけるかどうかの分岐点になるのではないだろうか。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。