「異国情緒漂うイケメン俳優」だけではもう厳しい? 離婚発表がディーン・フジオカ(45)の分岐点になる理由
10月18日に離婚を発表した俳優のディーン・フジオカ。今回の離婚発表が彼のキャリアにとって大きな分岐点になる、とライターの冨士海ネコ氏が分析する理由とは。
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【写真を見る】タトゥーを見せつけるように… とても45歳には見えないディーン・フジオカ
10月18日、SNSでは悲鳴を上げる女性が続出した。俳優のディーン・フジオカさんが離婚を発表。3児の父でもあった彼だが、報道によれば円満離婚だという。朝ドラ「あさが来た」の“五代さま”こと五代友厚役でブレイクした端正なルックスと演技は多くの女性をとりこにしたが、今回の報道で「仲良し夫婦だと思っていたのに驚いた」「あんなイケメンで子煩悩でも距離には勝てないのか」「独身になったのなら私にもチャンスが」など、さまざまなコメントがSNSのタイムラインやコメント欄を埋め尽くしていた。
ディーン・フジオカがブレイクしたとき、外国籍の人なのかな?と思ったのは私だけではないだろう。日本人でありながら香港や台湾の芸能界で見いだされ、逆輸入的に現れた謎めいた美男子の存在感はすごかった。演技だけでなく楽器も弾けるし歌も歌える、英語や中国語など5カ国語を操るマルチリンガル。妻はインドネシアの大実業家の娘で華やかな美人。芸名も含めてなんかスカした奴だな、と笑ってしまう部分はなくはないのだが、ディーンさんが醸し出す「異国情緒」が冷笑を封じ、「知的なエキゾチシズム」へと転化され、どこか日本離れした理想の男性像に昇華したのではないだろうか。
だからこそ、今回の離婚報道で「3児を海外に残して日本で活動していた父」という現実が広まったことは、マイナスポイントにもなり得る。これまで「グローバルな自由人」として憧れの対象だった存在が、急に「生活のリアル」を背負うことになったからである。
「異国的な俳優像」ゆえのミステリアスさと「家庭人」としてのバランスの難しさ
離婚が「キャリアの再出発」になる俳優もいれば、「失速の引き金」になる俳優もいる。その違いを分けるのは、「私生活と理想像とのギャップ」だ。
繰り返すが、ディーンさんの特異点は「異国性」である。国際的なキャリア、マルチリンガル、ミュージシャンとしての側面。これらは日本のファンにとって「非日常」の魅力であり、彼を単なる「イケメン俳優」以上の存在に押し上げてきた。だがその異国性は、同時に「暮らしの距離感」を曖昧にさせる。海外に家族を置き離れて暮らす「別居生活」は、かつては「仕事のための合理的な選択」として許容されやすかっただろう。しかし今回の離婚で「3児を外国に残していた父親」という事実が広く認知されると、タレントイメージの維持にジレンマが生じたのではないだろうか。
「所帯じみた父親像」を前面に出すと、ディーンさんの「おしゃれさ」や「漂う神秘性」が薄まってしまう。ファンが抱く「遠い憧れ」が親近化し過ぎると、特別な存在であるがゆえの商品価値は下がる。もちろん子育てに熱心なのは素晴らしいことだが、「イクメン」と打ち出し始めたら違和感を覚えるファンもいることだろう。
逆に「自由過ぎる私生活」を打ち出すと、「子育てはどうした?」という反発が出る。現代の視聴者は俳優や歌手に対してアーティスト性と同時に一定以上の社会的責任を求めるため、両者のバランスを誤ると評価は急落してしまう。
「家庭的過ぎてもダサい」「自由過ぎても無責任」と見なされる。この「どちらに転んでもたたかれる構造」こそが、現代の男性芸能人がとらわれる呪縛だ。「異国感」を武器に、日本の価値観からは離れたところで評価されてきたディーンさんだが、離婚を発表したことによって、その中間をどう模索するかが問われることになったのではないだろうか。
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