「こんな田舎でオヤジの工場を継ぐなんて…」上京して社長令嬢と“逆玉婚” 46歳夫が語る地獄のはじまり
国境の壁を越えた、意外なモノ
子どものころよく遊んでいたけん玉をスーツケースにしのばせていたので、ときどき取り出してはひとりでやっていた。ある日、隣の部屋の学生が音にひかれたのかドアをノックした。
「ごめん、うるさかったかなと言ったら、それは何だ、と。けん玉だよと言ってやってみせたら、彼が異常に喜んで……。他の部屋の学生まで呼んできて、みんな大騒ぎ。こんなものがどうしてこんなにおもしろいんだ、と話題になりました。それから急に友だちが増えた。英語力もアップしました。よく勉強も教えてもらいました」
楽しかったなあ、と彼は遠い目になった。あのころがいちばん自分らしかったかもしれないと小さな声でつけ加えた。
大学卒業後は意外な道へ…
帰国後、大学に戻ったが、そろそろ就職を意識しなければならない時期だった。サラリーマンになるのか、なんだか嫌だなあと彼は思ったという。何のために生きているのかわからなくなっていた。
「考えたら僕、別に養わなければいけない家族がいるわけでもないよなと気づいたんです。実家とはほとんど縁が切れていたし、父のいとこのおばさん夫婦とは連絡をとっていましたが、彼らは僕になにも要求はしなかった。ときどき顔を見せれば喜んでくれた。だったらいっそ、もうちょっと世界を見たいなと思ったんです」
それまで目標をたてて、そこに向かってがんばるのが彼のスタイルだったのだが、それを急にやめたくなったのだという。アルバイトをしてお金を貯めた。大学を優秀な成績で卒業しながら、彼は就職をせず、世界を放浪しはじめた。目的なく生きること、毎日、流されるように生きることが、それまでがんばりすぎていた反動か、楽しくてたまらなかった。行く先々で知り合いができ、ときには恋をして同じ場所に留まった。お金を盗られたこともあったが、それでも彼は放浪しつづけた。
「ほぼ丸3年、アジアからヨーロッパをさまよい続けました。自分が何をしたいのか、何のために生きているのか。結局は、わからなかった。ただ、それが人生なんだろうなと思ったんです」
「地獄」の始まり?
帰国したときは26歳になっていた。学生時代のツテを頼って、とあるシンクタンクに入社した。世界を見てきた彼なりの判断力が活かせる場所だった。
「ある中堅企業の担当になったんですが、そこの社長になぜか気に入られて……。今度、うちに遊びに来ないかと誘われて行ってみると、ものすごくきれいな娘さんがいて。結婚してやってくれという話になって。嘘みたいでしょう? 本当なんですよ」
何度かデートをしたが、真悠子さんというその娘は天衣無縫で世間知らず。だが雅秋さんにはかわいらしく見えた。5歳年下の彼女のわがままを聞くだけの度量はあると思い込んでいた。そして29歳のとき、彼は24歳の彼女と結婚した。
「これが地獄の一丁目ということだったんですけどね」
彼はそう言って苦笑した。
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ようやく雅秋さんの道は拓けてきたように思えるが…なぜ結婚が「地獄の一丁目」なのか。【記事後編】では彼のその後を紹介している。
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