「こんな田舎でオヤジの工場を継ぐなんて…」上京して社長令嬢と“逆玉婚” 46歳夫が語る地獄のはじまり

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なんとか東京へ

 たまたま東京に父のいとこ夫婦がいた。中学に入ったころ、その親戚に会う機会があり、東京の高校へ行きたいと打ち明けた。ふたりには子どもがいなかったから、「うちに下宿してかまわない」と言ってもらえた。

「そこから僕、けっこう必死に勉強しました。塾も予備校も、民間の模試さえ受けられなかったから、ほぼ一発勝負で都内の高校を受けて。合格したときは人生のドアが開いたと思いました」

 ところが親は、彼が本気だと思っていなかったようだ。母には「うちにはそんなお金はない」と言われたし、父には「中卒で工場を継げばいい」と言われた。父のいとこ夫婦が間に入ってとりなしてくれ、生活費は仕送りしなくていい、うちが負担するから、雅秋が大きくなったら少しずつ返済してくれればいいと条件をつけてくれた。

「そうでもしないとあなたは東京に来られなかったよねと、おばさん(父のいとこ)は当時のことを思い出話としてよく話していました。まったく依存するわけにもいかないので、当時は学校に話してアルバイトを認めてもらい、いくらか父のいとこ夫婦の家にお金を入れていました」

父を「反面教師」に…

 正直言うと、東京の高校にはなじめなかったと雅秋さんは言う。勉強にもついていけなかった。それでもがんばらないとオヤジみたいな人生を送ることになると自分を奮い立たせた。

「無知なのはいい。でも知ろうとしないのは罪だ。僕は父を見てそう思っていました。仕事だって努力もせずに請け負うだけ。もっと何か展開、発展していける工場だったと思うんだけど、父にはそういう才覚がなかった。そして教養のない両親を、当時は心の中で軽蔑すらしていました」

 彼はそのまま東京の大学へと進んだ。もう親は頼れない。おばさん夫婦の家に住まわせてもらい、奨学金を借りて勉学にいそしんだ。

「大学ではそこそこの成績をとり、勢いに乗じて交換留学でアメリカの大学でも学びました。語学はかなりできていたはずなのに、現地に行ったら講義が聞き取れない。単位を落とすわけにはいかないので必死でしたね。しかも友だちもなかなかできず、孤独だった」

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