“最大の後ろ盾”を亡くしても存在感を失わなかった「高市首相」 恩人「安倍元首相」死去後の決意表明は「御遺志を引き継ぎ、懸命に働くことで恩返しを」

国内 政治

  • ブックマーク

森元首相と高市氏

 ちなみに茂木氏と高市氏の不仲は、デイリー新潮も4月14日配信の「茂木幹事長VS高市政調会長 不仲の全真相 自民党幹部『もはや子どもの喧嘩状態』」で詳報している。筆者は政治ジャーナリストの青山和弘氏だ。

 ではここで、高市氏の当選歴を振り返ってみよう。彼女が初当選を果たしたのは1993年だが、その時は無所属だった。

「高市さんは93年の衆院選に旧奈良県全県区から無所属で出馬し、初当選を果たしました。その頃から森喜朗元首相(84)と距離が近いことが話題になっていましたが、その後、自由党や新進党の議員として活動しました。しかし96年、自民党に入党し、派閥は清和政策研究会を選びます。清和研が旧森派であり、今の安倍派であることは言うまでもありません」(同・記者)

 高市氏と森氏の関係については、デイリー新潮が2021年9月26日に配信した「高市早苗の後ろ盾は安倍前首相ではなく森喜朗元首相?『勝手補佐官』で強固な師弟関係」で詳報している。

 興味のある方はご覧いただきたいが、2012年に高市氏は清和研を退会し、今に至るまで無派閥だ。安倍元首相が“たった1人の後ろ盾”だとする見方は強かった。

「少なくとも自民党内では、安倍さんが総裁選で支援したからこそ、高市さんは政調会長に就任したと見られています。ところが、その安倍さんが凶弾に倒れてしまった。どうしても党内では、高市さんの今後について関心が高まってしまうでしょう」(同・記者)

高市氏の今後

 朝日新聞は今年2月1日、「(底流2022)『保守派のスター』試練の高市氏 安倍元首相の後ろ盾、どこまで」の記事を掲載した。

《安倍氏は、衆院選後に派閥の会長に就任。高市氏が再加入するとの臆測も飛んだが、実現しなかった。派内には萩生田光一経済産業相、西村康稔前経済再生相ら、安倍氏に近く「次」をうかがう面々もいる》

《総裁選に立候補できたことや多くの議員票を獲得できたことも、安倍氏の支援があってこそ――。自民内では高市氏について、そんな見方が強い。別の派閥のベテランは「派閥に戻れず、仲間作りもこれから。頼みの安倍さんもどうするか。このまま存在感を失っていくかもしれない」》

 朝日新聞の記事では、ベテラン議員が「頼みの安倍さんもどうするか」とコメントした。だが、安倍元首相は亡くなってしまった。

「高市さんは安倍元首相という後ろ盾を失った結果、党内でも『存在感が徐々に失われるのでは』との声があります。焦点は、9月頭に予定されている党の役員人事でしょう。これまで『次の人事で、高市さんは政調会長を外される』ことが既定路線だと言われていました」(同・記者)

岸田氏と高市氏

 とはいえ、“既定路線”のことなど何も知らない有権者は、「安倍元首相が射殺されたら、急に高市さんが要職から外された」と受け止めかねない。

「高市さんは有権者から人気がありますから、政調会長の職を解かれると、『ひどい人事だ』と反発するかもしれません。簡単に高市さんを動かすわけにもいかなくなり、非常に厳しい人事になりそうです。9月頭の内閣改造や党役員人事で、岸田首相が高市さんをどう処遇するか、早くも広範な関心を集めています」(同・記者)

 第1回【目前に迫った「安倍元首相」銃殺事件の初公判…「高市首相」が“心神衰弱状態”に陥ったお膝元での“惨事” なぜ安倍元首相は奈良を訪れたのか】では、安倍氏が応援演説のため、高市氏の地元である奈良市に立ち寄ったのは、偶然の要素が強かったことを詳細に報じている──。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。