“最大の後ろ盾”を亡くしても存在感を失わなかった「高市首相」 恩人「安倍元首相」死去後の決意表明は「御遺志を引き継ぎ、懸命に働くことで恩返しを」

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 第1回【目前に迫った「安倍元首相」銃殺事件の初公判…「高市首相」が“心神衰弱状態”に陥ったお膝元での“惨事” なぜ安倍元首相は奈良を訪れたのか】からの続き──。2022年7月8日、安倍晋三元首相は奈良市の近鉄大和西大路駅で街頭演説を行っていたところ、山上徹也被告に銃撃され死亡した。(全2回の第2回)

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 10月21日、自民党の高市早苗総裁は国会で首相に指名され、高市政権が発足した。高市氏と安倍氏の関係が非常に深かったことは、よく知られている。

 衆議院議員である高市氏の選挙区は「奈良2区」であり、奈良市の一部も含まれる。いわば高市氏の地盤で安倍氏は死去したとも言えるわけであり、その“奇縁”について改めて考えさせられる。

 安倍氏銃殺という衝撃的な事件が発生し、高市氏が奔走した様子を当時のデイリー新潮は報じた。このたび憲政史上初となる「女性首相」が誕生したが、安倍氏の死去が高市氏の政治家人生に大きな影響を与えたのは間違いない。その“原点”をご覧いただこう。

(以下はデイリー新潮が2022年7月16日に配信した記事を加筆、再編集しています。年齢や肩書は当時のものです)

 高市氏も、安倍元首相が奈良で応援演説を行うことになったのは、あくまで京都の“ついで”だったことをTwitterに投稿している。

《安倍元総理と最後にメールをやり取りしたのは事件前日夕方。急な奈良県入りを知り、党情勢調査で奈良県は優勢の旨を送信したら、「問題ないとは思うけど、京都に行くことが決まったので、奈良まで行きます。毎日と日経が厳しく出ているので」と返信。京都も奈良も当選したことを御霊前に報告しました》

高市氏の権力基盤

 高市氏の一連の投稿は最後、新たな決意を表明するツイートで終わった。

《安倍元総理が他界されたという現実を受け入れるまでには大変な苦痛を伴いましたが、今後は、多くの同志議員と力を合わせて、安倍元総理の御遺志を引き継ぎ、懸命に働くことで恩返しをしてまいります》

 安倍元首相の射殺事件に際し、高市氏が奔走した。これは奈良県選出の衆院議員ということだけでなく、政調会長という要職にあったことも影響を与えただろう。

 だが何より、彼女が安倍元首相からひとかたならぬ“支援”を受けていたことが、最も大きな要因だったのではないだろうか。

「高市さんは『文藝春秋』2021年9月号で、自民党総裁選への出馬を宣言しました。当初は推薦人を集められるのかさえ疑問視する声もありましたが、安倍元首相が支援を表明して流れが変わりました」(同・記者)

 結果は岸田文雄首相(64)が当選を果たしたものの、高市氏は次点に食い込む大健闘だった。

「総裁選で存在感を示したこともあり、高市さんは自民党三役である政調会長の座を手に入れました。しかしその後は、茂木敏充幹事長(66)との不仲が報道されるなど、存在感を発揮できていません。なぜ高市さんの“権力基盤”が脆弱なのか、それは彼女がどこの派閥にも所属していない“無派閥”だということも原因の一つでしょう」(同・記者)

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