目前に迫った「安倍元首相」銃殺事件の初公判…「高市首相」が“心神衰弱状態”に陥ったお膝元での“惨事” なぜ安倍元首相は奈良を訪れたのか

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「長野に向かっていれば……」

 殺害された8日、安倍元首相は当初、奈良ではなく長野を訪れる予定だった。

「長野選挙区は改選定数1に6人が立候補。立憲民主党現職の杉尾秀哉さん(64)と自民党新人の松山三四六さん(52)が、激しい争いを繰り広げていました。ところが、週刊文春が女性問題を、週刊新潮が金銭トラブルを報じたこともあり、安倍元首相の応援演説が中止になったのです」(同・記者)

 長野の次は、これも激戦となっていた京都を訪れる予定だった。

「京都選挙区は改選議席2に9人が立候補。立憲民主党現職の福山哲郎さん(60)、自民党新人の吉井章さん(55)、日本維新の会新人の楠井祐子さん(54)が三つ巴の争いを繰り広げていました。その京都入りする前のスケジュールが空いたので、それなら奈良に行こうということになったそうです」(同・記者)

 奈良選挙区は改選定数1に6人が立候補。自民党現職の佐藤啓氏(43)に、維新新人の中川崇氏(36)が挑むという構図だった。

「長野や京都とは異なり、奈良選挙区は自民党候補の当選を予想するメディアが多かったのです。京都に入るのなら、その近くの奈良にも、といった位置づけでした。長野に向かっていれば、安倍さんが狙撃されることもなかったという議論もあります。いずれにしても、今となってみれば、運命の悪戯としか言いようがありません」(同・記者)

 第2回【“最大の後ろ盾”を亡くしても存在感を失わなかった「高市首相」 恩人「安倍元首相」死去後の決意表明は「御遺志を引き継ぎ、懸命に働くことで恩返しを」】では、安倍氏銃撃の報を聞き、当時は政調会長だった高市氏が奔走する様子をお伝えする──。

註:内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、少子化・男女共同参画、食品安全、イノベーション担当)

デイリー新潮編集部

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