捜査員に囲まれた“北朝鮮スパイ”が「バッグの中にあるタバコを吸いたい」と懇願した理由…ラジオを通じて「暗号指令」が飛び交った「北朝鮮」特殊工作の実態

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与えられた任務

 時計の針は午前零時を指そうとしていた。捜査員たちは、ラジオの周波数を合わせる。零時をほんの少し過ぎたころ、朝鮮語の若い女性の声が聞こえてきた。

「1336号、1336号……」

 捜査員たちは「やった!」と心の中で叫んだ。Aの呼び出し番号を北朝鮮のラジオ放送から流れる瞬間をキャッチしたのである。ラジオからの声は続いた。

「86722、37547……」

 5ケタの数字に置き換えた暗号指令――捜査員はすぐに乱数表と暗号表と照らし合わせて解読作業を始める。指令はすぐに解けた。

1.接線できなかった事情を報告せよ
2.新年にあたり、事業の成果と健闘を祈る

 Aが逮捕されて12日経った、昭和49年1月3日の深夜である。

「接線できなかった事情」とは、「どうして東ドイツ(当時)にある北朝鮮大使館に来なかったのか、どんな事情があったのか」という詰問である。北朝鮮からの指令は毎月3日と4日の午前零時に暗号電波で送られてくることを、警察は事前に把握していた。

 Aは韓国生まれ。裕福な家庭だったこともあり、Aの父は日本で教育を受けさせたいと思い、昭和15年、Aを大阪の叔父の家に預けた。学業優秀だったAだが、翌16年には太平洋戦争がはじまり、学校も戦時色に合わせるようになると3年で中退。工員や司法書士見習いをして生活し、敗戦濃厚となってきた19年10月、Aは両親の住む韓国に単身帰国した。

 昭和21年春、Aは結婚。ソウルの印刷工場で働き、平和な日々を過ごしていたが、同25年に朝鮮戦争が始まると、北朝鮮軍の兵士として参戦。朝鮮労働党に入党し、特務下士官で除隊した。北朝鮮で別の女性と結婚すると二人の子供をもうけ、陸海運省(日本の国土交通省に相当)の役人として働いていた。ある日、党中央機関から「日本に潜入するスパイになるように」と命令された。Aが従った理由は自分が韓国出身であることから、その地位が上がらないことにあった。スパイ要員となって成績をあげ、いい地位に就こうと決心したのである。

 8カ月に及ぶスパイ教育は、工作員の心構えに始まり共産主義理論、金日成思想、朝鮮労働党の政策などの理論学習と、無線機の組み立てと取り扱い要領、乱数表の使い方、暗号書の書き方。そして日本の地理、習慣などを日本の新聞、雑誌をもとに教え込まれた。日本語は得意だし、大阪には土地勘もある。Aが知識を吸収するのは簡単だった。

 党中央から与えられた任務は以下の通り。

1.日本と韓国の政治、経済、軍事などに関する秘密情報を入手すること
2.日本を足場として韓国にある朝鮮革命組織と北朝鮮との連絡ルートを作ること
3.韓国から来日する留学生の中から、革命に役立つ人物を物色し、北朝鮮に送り込むこと

 無線機、乱数表、暗号表などにくわえ、背広、オーバー、下着、ワイシャツ、ネクタイ、マフラー、万年筆に腕時計、財布、手帳、折り畳み傘、そして日本円で300万円を支給され、日本に上陸した。家族を北朝鮮に残して日本で生活している同胞を訪ね、その家族からの手紙(この手紙を持っている人に協力するように、と書いてある)を見せて、現地の協力者になってもらい、各種の情報収集を行った。

 報告はすべて手紙だった。文面はごく普通の時節柄の内容だが、便せんに特殊なインキで情報を書き込む。炙り出すと文字が浮かび上がるものである。約4年にわたる日本での任務を終え、東ドイツへと脱出する寸前、日本警察によって逮捕された。スパイ防止法など、諜報関係の法律がない日本で、Aが問われたのは外国人登録法違反、旅券法違反のみ。懲役1年の判決だった(以上の事件経過は警察庁の資料・記録を基に再現した)。

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