「土方歳三」と言えばこの人「栗塚旭」 「司馬遼太郎」「三谷幸喜」も唸らせた「生涯現役」の役者人生

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 ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第36回は9月に亡くなられた栗塚旭(1937~2025)だ。生涯の当たり役だった新選組副長・土方歳三役についての伝説や撮影での苦労話などを生前に伺っていた。

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 9月9日、「土方歳三といえばこの人」と多くのファンに愛された俳優・栗塚旭が88歳で世を去った。

 1937年に北海道で生まれた栗塚は、若くして両親を亡くし、中学を卒業後、兄夫婦を頼って京都で暮らし始める。高校生の頃から演劇に興味を持ち、地元の劇団くるみ座に入団。その代表を務める毛利菊枝の付人をしながら演劇を学んだ。

 映像作品にも出演するようになった栗塚の名が一躍知られるようになったのは「新選組血風録」(NETテレビ・65~66年)の土方歳三役だった。

「オファーを受けたときは28歳。劇団に入って8年ほど修行したころでした。土方役と言われたときにはびっくりしましたよ。京都の東映といえばキラ星のごとく輝く時代劇の名優が活躍した日本のハリウッドですからね。劇団でシェークスピアなどを勉強し、テレビの『忍びの者』(NETテレビ・64~65年)の明智光秀で少し時代劇を経験した程度の僕に、いきなり主役でしょう。僕と沖田総司に抜擢された新人の島田順司さんは、着物の着方、袴の穿き方から特訓でした」

 このドラマについては有名な「伝説」が二つある。その一つは、映像化を渋っていた原作者・司馬遼太郎が土方の扮装で挨拶に来た栗塚の姿を見てそれを許可したという話だ。

二つの伝説の真相

「司馬先生とみどり夫人にお会いしたのは本当ですが、そのときすでに撮影は始まっていました。先生も自作への強い思いがあったのでしょう。わざわざスポンサー試写にも来てくれましたから」

 スポンサー試写とは広告代理店の仲立ちで企業を招いてスポンサー契約をしてもらうための試写会で、「新選組血風録」は原作者の力添えもあり無事スポンサーが決まった。

 もう一つの伝説は土方歳三を別の俳優が演じる予定だったということ。

「もともと土方は品川隆二さんがやるはずで、台本に名前が書いてあるのがチラリと見えました(笑)。当時は映画が斜陽になり、映画会社はテレビに進出しようと考えたもののテレビ局にも予算がない。苦肉のキャスティングだったと思います。なにしろ僕のギャラは映画のトップスターの100分の1と言われましたからね(笑)」

 取材に際しスタッフが探し出した当時の資料によると、栗塚の役は「篠原泰之進」となっていた。篠原は伊東甲子太郎らと新選組を離れ、土方らと対立。のちに近藤勇を襲撃した人物だ。この役に想定されていたことは本人も初めて知ったと驚いていた。

 当時は「電気紙芝居」と揶揄され、映画より低く見られていたテレビドラマの撮影は、低予算と人手不足で今では考えられないほど過酷だった。

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