視聴率で「あんぱん」に肉薄 意外にも朝ドラ「ばけばけ」が好評なワケ 仕掛けるのは“医学部卒”の制作統括
若槻礼次郎と岸清一
「ばけばけ」は貧困やトキの実父・雨清水傳(堤真一)の死など悲しみが次々とやってくる。だが、一方で笑いも至るところにちりばめられている。だから観ている側が暗くなるのが抑えられている。
トキが本郷の下宿で出会った錦織は、中学校教師の資格を得るために松江から上京していた。錦織は武家の生まれだったが、家が貧しく、旧制中学を中退。無資格で教員をしていた。どこかトキと似た境遇だった。
錦織は「松江の神童」と呼ばれるほどの秀才だった。特に英語に関しては右に出る者がいなかった。松江で中学校教師になるヘブンと同僚となり、やがて親友になる。トキとも親しく付き合う。
錦織のモデルは西田千太郎(1862~97年)。島根などの教育界に大きな功績を残した偉人だ。やはり中学中退ながら、図抜けた頭脳を持つ努力家で、20代で島根県尋常中学校(現県立松江北高)の教頭となった。その後は授業法の改革などに尽くした。
県知事・籠手田安定の招きで八雲が同中にやって来ると、その生活全般を支える。誠実な人でもあった。八雲の取材活動や資料収集においても一番の協力者だった。八雲とセツの仲人も務めた。
西田は八雲が最も信頼した日本人だった。西田が結核によって34歳で早世すると、八雲は現実から目を背けたかったらしく、松江行きを嫌がるようになったほどだ。
トキが本郷の下宿で出会った帝大生の若宮(田中亨)、同じく根岸(北野秀気)もおそらく後に偉人となる。若宮は島根県出身者として初の内閣総理大臣となり、戦前を代表する平和主義者と国際的に讃えられる若槻礼次郎だ。根岸は国際派弁護士ながらスポーツ界の近代化に尽くし、岸記念体育会館(東京・神南)に名を残す岸清一がモデルに違いない。
歴史の改竄ではない。若槻と岸は松江の中心部にある雑賀小学校の出身で、西田の後輩。3人とも武家出身で、生まれ育ったのも市内中心部で一緒。トキが上京した時期、若槻と岸は帝大に通っており、同じ部屋に住んでいた。ありし日の西田はこの2人と並び称され、松江の希望の星だった。
この物語がうまいのは、視聴者側が抱く登場人物への見方を、徐々に修正しているところ。分かりやすいのはトキの実母・雨清水タエ(北川景子)。当初は高慢で鼻持ちならなかったが、少しずつ人間味が加えられた。傳も財産も失った今は同情されている。
人物像の修正が始まったばかりなのは司之介だ。ダメ男で、松野家の貧困の元凶だが、悪意や邪心はなく、ひとまずトキを愛していたから、これまでは許されていた。
しかし、第17回でトキの母親・フミ(池脇千鶴)がある可能性を語った際、許容範囲を越えてしまった。フミが「トキは東京から戻らないかもしれない」と口にしたときだ。
司之介はフミの言葉にやや憤慨し、「育ててもらった恩があるじゃろ」と言い放った。それを言ったら、お終いである。トキを10歳から働かせ、小学校は中退させてしまい、銀二郎の出奔の原因をつくった張本人なのだから。
あざとさがない
ふじき氏は視聴者側の司之介の人物観をそろそろ変えようと考えているのだろう。近くトキはヘブンと出会い、司之介ら家族と精神的に離れていく。トキも視聴者も司之介らを苦手になったほうが離れやすい。
トキに扮している高石はこれまで深夜ドラマでしか主演経験がなかった。実力は十分に認められていたものの、知名度は今一つだった。「ばけばけ」は新人と新人クラスばかりがヒロインを務めていた平成後期までの朝ドラの路線に回帰したことになる。
それでも17日放送の第3週までの平均世帯視聴率は15.0%。既に売れっ子だった今田美桜(28)による前作「あんぱん」の同15.2%に肉薄している。やはり人気者だった橋本環奈(26)主演の前々作「おむすび」の同14.7%は超えている。
主題歌もミリオンヒットを飛ばすような大物アーティストに頼らなかったが、好評だ。採用したのは知る人ぞ知る存在の夫婦デュオ「ハンバート ハンバート」による「笑ったり転んだり」。ヒットチャートを静かに上昇している。芥川賞作家でお笑い芸人の又吉直樹(45)が2人のファンであることで知られる。
まるで本物の武家屋敷のような雨清水邸などのセットも評判高い。夜の場面の撮影で照明を落としているところもいい。ろうそくの灯りの下、家族が寄り添う姿が古き時代を思わせる。ただし、暗い映像を嫌う人もいるから、賭けでもある。
宣伝が控えめなのもプラスになっているように見える。若槻礼次郎と岸清一の登場をリークするようなこともしなかった。最近の朝ドラの宣伝は全ドラマの中で一番派手で、あの手この手でやっていると他局や芸能プロダクションの間で評判だが、そもそもドラマや映画、小説は作品と受け手の対話とされてきた。宣伝過多を厭う人は昔からいる。
全体的にあざとさが感じられない。それが好感の抱ける大きな理由ではないか。
総責任者である制作統括の橋爪國臣氏(39)は琉球大学医学部卒。医師免許を持つ異色の制作者である。
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