【独占告白】高市早苗氏を救った「一通のメール」を送った仕掛け人が語る舞台裏 維新との連立の背後で起きていたギリギリの大勝負

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高市氏は「明らかに不安な様子だった」

 公明党から連立離脱を告げられ、窮地に立たされた高市早苗自民党総裁(64)。日本維新の会との連立に望みを託し、辛くも初の女性宰相に選出された。サプライズ人事や官邸官僚の配置で「高市カラー」を打ち出しつつも、派閥政治のしがらみに縛られた政権の行方は。

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 10月21日午後の臨時国会、衆院の過半数233議席を上回る237票を得て首班に指名された高市氏だが、

「10月4日に総裁に就任した直後、周囲に“首班指名がどうなるか分からない”と漏らすなど、明らかに不安な様子を見せていたそうです」(政治部デスク)

 もとより自公合わせても少数与党だった。そこへ10日の公明党の連立離脱決定が襲い、状況はますます悪化した。

「自民の議席数は196。このままでは1回目の首班指名で過半数に遠く及ばず、2回目の決選投票に持ち込まれてしまう。その際、もし野党が統一候補でまとまれば、立憲民主・国民民主・日本維新の会の計210票が自民を上回り、野党候補に首班を奪われる可能性があったのです」(同)

窮地を救った「一通のメール」

 だが、一通のメールが高市氏を窮地から救う。

「自公連立が危機に瀕していた最中、旧知の間柄である維新の遠藤敬(たかし)国対委員長(57)が高市氏に送ったメールがすべての始まりでした」(前出のデスク)

 遠藤氏本人が語る。

「僕が衆院議院運営委員会の理事を務めていた時、高市さんが委員長に就任されまして、以来、もう7年ほどのお付き合いになりますかね。今回、自分からメールを送ったんです。“大変やろうと思うけど、頑張ってください”と。そしたら高市さんから電話がかかってきたんですよ」

 高市氏は総裁就任翌日の5日、連立拡大を目指して国民の玉木雄一郎代表(56)と極秘で会談した。しかし、これが露見して公明の不信を招き、連立解消を決断させる一因となった。

一気呵成の勢いで連立協議を

 彼女にとって、遠藤氏のメールは“渡りに船”だった。高市氏は遠藤氏との電話で、一気呵成(かせい)の勢いで連立協議を持ちかけた。

「高市さんは“国民民主党とは報道されているような関係はありません”とおっしゃってね。“遠藤さんのところ(維新)と一緒にやりましょう”と。その提案に僕も“(小泉)進次郎さんでなければならないということはない。政策を受け入れてくれるなら”と応じました」(遠藤氏)

 自民党総裁選で小泉氏(44)の勝利に賭けたと目されていた維新が、高市氏と手を結ぶことを決めたのだ。

 維新の藤田文武共同代表(44)と、官房長官就任が早くから内定していた自民の木原稔氏(56)は以降、連立協議への地ならしを進めた。

高市氏自らが交渉に乗り出した背景

 木原氏を通じて維新側の“条件”を伝え聞いた高市氏は「これならできるわ」と前向きな姿勢を見せたという。遠藤氏いわく、

「ただ、トップ同士で話をせえへんかったら、いくらやったっていい話にはならないから。僕が高市さんと吉村(洋文)代表(50)にお互いの携帯電話の番号を伝えた上で、13日に高市さんから吉村代表に電話をかけてもらいました」

 この13日は、大阪万博の閉会日と重なっていた。日程が立て込む吉村氏に対し、高市氏は指定された時間きっかりに電話をかけ、連立に向けた強い思いを自らの言葉で伝えた。が、それはギリギリの勝負でもあった。

「維新との太いパイプを築いたのは菅義偉氏(76)。麻生太郎副総裁(85)の政敵です。麻生氏の義弟にあたる鈴木俊一幹事長(72)も当然ながら維新に人脈がなく、高市氏自ら交渉に乗り出さざるを得なかった面があります」(前出の政治部デスク)

 最後は自ら交渉力を発揮した上で、何とか勝ち取った「初の女性首相」の座だった。10月23日発売の「週刊新潮」では、維新との連立の舞台裏や、今後高市首相を待ち受ける「難局」について詳しく報じる。

週刊新潮 2025年10月30日号掲載

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