「“不義”で公明党を激怒させ、裏で学会をボロクソに…」 連立解消のウラに高市早苗氏「30年前の因縁」も
落選の憂き目
件の選挙で高市氏と戦った森岡氏もこう話す。
「新進党は公明党と一緒にやっていましたが、高市さんはそこから自民党に移ったわけでしょう。公明党にしてみれば、いい気持ちはしてなかったと思いますね」
「不義」によって公明党を怒らせたわけだが、
「高市も表ではいい顔しといて、裏では公明党や学会のことをボロクソに言っていた」(高市事務所関係者)
その因果が巡ってくるのが、2003年の衆院選。選挙区で民主党の馬淵澄夫氏に惨敗、比例復活もかなわず落選の憂き目を見たのだ。
「奥野先生の後援会、公明党・創価学会などが反発したことが敗因でした。高市氏の行動を振り返ると、自らの目的を遂げるためには、世話になった人の恩を顧みない。『マキャベリスト』と言ってよいかもしれません。でもそれは日本人の穏やかな気質にそぐわない面がある。だから結末でくじけてしまうことが目立つのではないでしょうか」(先の石崎氏)
積み重ねられてきた高市氏と公明党の約30年にわたる因縁……。今回の連立離脱劇は「歴史の必然」だったのかもしれない。
10月16日発売の「週刊新潮」では、公明党との因縁を含め、学生時代や政界入り後のエピソードを交えながら、「高市早苗研究」を掲載する。
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