娘を亡くしたはずの家に並ぶ真新しい絵本、子供靴、歯ブラシ… “開けてはいけない部屋”に触れられた母の豹変【川奈まり子の百物語】
痛ましい独り暮らし
引っ越し後、お互いの家を行き来するようになると、すぐに従姉の異様な暮らしぶりが明らかになった。
従姉は離婚した後に引っ越して、珠美さん家族の新居から徒歩5分ほどの場所に建つマンションに独りで住んでいた。その初訪問のときから、おかしな点に気がついた。
まず、玄関に真新しい子ども用の靴が置かれていて、ギョッとした。
珠美さんの娘の靴と同じぐらいのサイズのピンク色のスニーカーが、ひっそりと三和土の隅にあって、一種異様な気配を放っていたのである。
リビングの書棚にも、小さな子が好みそうな絵本や児童書が並んでいた。
他にも、台所へ行けば食器棚にアニメのキャラクターがプリントされた茶碗や皿があり、洗面台には従姉の歯ブラシと並んで小児用の歯ブラシが……といった調子で、子どもがいない方が不自然な状況だったのだ。
どれも亡くなった子が使っていた形跡の無い、新品だった。最初は、珠美さんの娘のために用意してくれたのかもしれないと無理にも思おうとした。だが、娘を連れていっても従姉は茶碗やその他そこにある子ども用品を使うように勧めてくるわけでもなく、そうしてみると、亡くした子と同居しているのはもはや間違いないと思われた。
だが、珠美さんたちの前では、従姉は死んだ娘の名前を口に出すこともなく、ごくふつうにふるまっていた。
非常に痛ましいことだ。
珠美さんは心の底から、あらためて従姉を気の毒に思った。
そのため、最初のうちは、従姉に調子を合わせて、何も気づいていない振りをすることにしたのだとか……。
しかし、それも1年ほどで限界を迎えた。その日、珠美さん親子は久しぶりに従姉の家を訪ねていた。珠美さんの娘がトイレと間違えて廊下の突き当たりの部屋のドアを開けようとした途端に、従姉が飛んで行って娘を突き飛ばし、「何してるの!」と怒鳴りつけたのだ。
豹変した従姉
ガチャガチャとドアノブが鳴る音が聞こえるや否や、目の前のソファから従姉が立ち上がったと思うと廊下に走り出たので、慌てて追いかけたが、止める間もなく……。
娘はショックで泣きだし、珠美さんも狼狽した。娘と従姉を交互に見ながら「どうしたの、なんで乱暴なことしたの?」と訊くのが精一杯だった。
かろうじて娘が蚊の鳴くような声で「おトイレ」と言った。そこで急いでトイレに連れていくと、従姉は「今日はもう帰って」と涙声で珠美さんに言い、寝室に籠ってしまった。
廊下に取り残された珠美さんは、問題の突き当たりの部屋のドアノブにそっと手を掛けてみた。
――鍵が掛かっていた。
部屋の中は静まり返っていて、誰かがいるとは思えなかった。
ドアノブの下に、他の部屋にはない鍵穴があった。
従姉が、何かをここに閉じ込めるためか、あるいは外部から何かを守るために、後から鍵を取りつけたのに違いなかった。
やがて娘がトイレから出てくると、珠美さんはすぐに一緒に従姉のマンションから立ち去り、以降、二度と訪ねることはなかった。
完全に交流を断ったわけでもなく、それからも従姉の方から遊びに来たことは何度かあったが、次第に疎遠になって、娘が小学校を卒業する頃には、年に1~2度、親戚で集まったときに顔を合わせる程度の付き合いになっていた。
あのマンションで従姉はあいかわらず、死んだ我が子と暮らしているのだろう……。
それは、従姉の病んだ心の産物なのか、幽霊なのか……。従姉の日常を想像すると、憐れみよりも不気味さが先に立ち、どうしてもこちらから歩み寄る気にはなれなかった、と珠美さんは言う。
そして、表面上は穏やかな日々が過ぎていった。
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