ドイツ語試験は白紙で提出、小6で驚くほど精巧な模型…「ノーベル賞」を同時受賞した“日本の研究者4人”若き日の秘話

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長男も英語が苦手「父親の悪影響というべきか」

 益川氏の大学進学も、母親が味方してくれたおかげ。妹の妙子さんは話す。

「父は兄の大学進学に大反対。家業を継いで欲しいと考えていた。母の方が一枚上手で、“これからの時代、砂糖屋でも大学を出ていておかしくない”と兄を応援し続けた。結局、地元の大学なら、ということでしたが、浪人は許されなかったと思います。兄はとにかく必死で受験勉強しました。当時、出たばかりの電気コタツを買ってもらって自分の部屋に置き、コタツで勉強して、コタツの中で寝て、また起きたら勉強、という具合でした」

 小林、益川両氏の恩師の大貫義郎名大名誉教授はこう語る。

「大人しく冷静な小林君とは対照的に、益川君は雄弁な論客というタイプ。彼は自分の好きな分野については大変な集中力を発揮する一方で、嫌いなものについては目もくれない。英語、ドイツ語が苦手で、大学院入試のドイツ語の試験は白紙で提出したほどです」

 そんな益川氏は、ご子息をどう教育しているか。企業の研究職に就く長男の解文氏(39)によれば、

「勉強や進路について何か言われるようなことはほとんどありませんでした。オヤジの背中を見て、自然と自分も理系に進みましたが、私も英語が全然駄目です。これは父親から受けた悪影響というべきでしょうか」

自然いっぱいの満州から「武家の家」へ

 クラゲの発光メカニズムの研究で化学賞を受けた米ボストン大学名誉教授の下村脩氏(80)の父親は、陸軍将校だった。下村氏は京都府福知山市の生まれだが、父親の赴任先によって各地を転々とし、幼少期は満州で過ごした。妻の明美さん(72)は話す。

「“満州は、とにかく何もなかった。ただ自然だけは豊かで、家の前に流れていた川が唯一の遊び場だった”と言っていました。“夏は魚を獲って遊んだり、冬は凍るのでアイススケートをしたり。当時は随分と自然に触れ、素朴な生活を送っていた”と。こうした体験は、後にクラゲの研究に明け暮れる日々と、通じるところがあるのかもしれません」

 小学校の高学年の頃に、父親の転勤とともに長崎県佐世保市へ。教育係は祖母だったそうである。

「佐世保にいた頃、両親は子供を祖父母に預けて、日本各地や海外に出かけることも多かった。下村自身、“私は祖母に育てられた”と話していました。下村家はもともと佐賀藩の武士でしたから、サムライの子孫ということ。祖母はその血筋をよく表している典型的な“武士の家の母”で、大変に昔気質だったそうです。下村は、この祖母に随分と厳しく躾けられたと言っておりました。ご飯を1粒でも残すと、“お百姓さんが一生懸命育てたものを粗末にするなんて。お米を作って頂いたことに感謝して食べなさい”と怒られた。まるで武士の子のように、礼儀作法や他人を敬う心などを厳格に教育されたそうです」

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