【べらぼう】松平定信の統制で財産を半分没収 「見せしめ」にされた蔦重の致命的な油断

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一番目立つ存在への見せしめ

 地本問屋も同業者組合の結成が認められたこと自体は、蔦重たちにとって悪い話ではなかったはずだ。しかし、出版物の内容を「行事」がチェックすることが義務づけられた寛政2年10月の時点で、山東京伝作の3つの洒落本は、もう版木まででき上っていた。それらを行事がチェックした結果、規制に違反していると判断されてしまっては、蔦重は大変だ。だから、手を打ったのではないかと思われる。

 前出の『蔦屋重三郎』には、こう記されている。「『近世物之本江戸作者部類』は、この時期処罰された行事二名は、裏屋住まいの者で、本の仕立てで生計を立てている弱い立場の者であり、蔦重の意向に逆らえなかったとする。『伊波伝毛乃記』は、行事二人にひそかに蔦重が合力金を渡したとしており、ありうる話かと思われる」。

 このように蔦重が、「行事」のシステムが機能しないように手を回したのだとすれば、危ない橋を渡ってしまったということになる。前掲書には続いてこう書かれている。「行事二名に厳しい処罰を科したのも、行事の責任、行事による改めの重さを周知するためであろうし、京伝と蔦重を対象としたのも、当時一番目立つ存在で、見せしめとしての効果が絶大であると踏んだからであろう」。

 出る杭は打たれるということだが、蔦重は再起する。そして、歌麿による美人大首絵をヒットさせるのである。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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