死んだはずの被害者が“生きていた”…? 謎が謎を呼ぶ遺体なき「無尽蔵」殺人事件 被告はなぜ有罪となったのか

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「川田がいる」

“死んだはずの川田さんに会った”と証言したのはふたりだけではない。小田原の古美術商も裁判に証人として出廷。

「川田さんと会ったのは、昨年(1982年)6月22日に伊東市の旅館で開かれた美術市の場でした」

 と、なんと殺害されたとされる日からおよそ4ヶ月後に目撃したと証言した。

「自分の左隣にいた鎌倉の同業者が、『川田がいる』と自分に耳打ちしたんです。後ろを振り向くと、たしかに川田氏がいた。それで『しばらくぶりだね、景気はどうだい?』ときくと『ぜんぜんだめだよ』と答えました。川田さんとは顔馴染みなので顔を見間違えるはずはありません」

 立て続けに現れる“死後の目撃者”により、そもそも川田さんは生きているのではないか……という疑いまで生じさせる展開となったのだ。

いまも見つかっていない遺体

 法廷はにわかにミステリー色を帯びたが、のちに言い渡された判決では「川田の消息に関する生存目撃等の証言は、信用性が甚だ低いか全く証拠価値のないものであって、いずれも措信できず、その他の点も同日以降川田の生存を確認する証左となすにはいずれも足りない」と、すべての“死後の目撃証言”が信用できないと結論づけられた。森本は川田さんを殺害したと認定され、懲役13年の判決が言い渡されている。

 森本は2月24日の川田さん殺害を否認していたが、25日以降、突如として「無尽蔵」の金に手をつけ、妻への送金やBMWへのターボ取り付けなど、その額209万円を、私的な目的に使用していた。「殺害当時強盗目的等があったのではないかと窺わせる状況が存し、現に捜査段階においてもそのような追及がなされている」と判決は指摘している。森本は地裁判決以降も控訴、上告し、否認を貫いたものの、1990年6月、最高裁で懲役13年の実刑が確定した。

 “将来の養父”を殺害したのは、金が目的だったのか。それとも性的交渉が原因だったのか。森本本人が犯行を認めていないなか、これも、法廷での“死後の目撃情報”同様、謎のままだ。そして川田さんの遺体は、いまも見つかっていない。

【前編】では、事件発覚から逮捕までの経緯を詳述している。

※執筆に当たり、週刊文春(1982.9.9、1982.12.16、1983.11.24)、週刊新潮(1982.8.26、1982.10.7、1983.11.24)、週刊ポスト(1982.9.17)、週刊サンケイ(1982.10.14)の各誌を参考にしました。協力:公益財団法人大宅壮一文庫

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。

デイリー新潮編集部

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