「人間いうのはな、死んだ時に初めて値打ちがわかるんや」 不世出の芸人「横山やすし」が息子に語っていた“口癖”
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さん。これまでの取材データから、俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第36回は横山やすしさんと息子の木村一八さん。天才漫才師と呼ばれた父を持つ一八さんが抱く父への強い思いを明かします。
「誰や?」
記者生活の中で会社に直接、著名人から電話がかかってきたことが3回ほどある。
一人はニュースキャスターの幸田シャーミンで、掲載した記事へのお礼の電話。
一人は「おそらく宮沢りえと親しい」と書いたシンガー・ソングライターで、酔った勢い? で記事へのクレームだった。
もう一人は“おそらく”横山やすし。やっさんだった。
やっさんからと思われる電話は、92年8月に何者かに襲われ、障害が残る重傷を負い、入院、退院する中で何らかのタイミングだったのだと思う。
大阪・摂津の自宅の電話番号を知り合いに聞き、思い切って電話をかけたのだが、本人は不在だった……というか、在宅していても具合が悪かった可能性があるし、居ても見ず知らずの相手の電話に出ないだろうと承知の上だった。ただ、社名と電話番号を電話口の人に伝えて切った。
しばらくして……。
会社に筆者あてだという電話がかかってきた。出ると先方が「誰や?」と言う。まさかと思ったが、間違いなくやっさんの声!? 名前を言い、「あの、お体…」と言う間もなく、「何や!」と怒って、電話はガシャンと切れた。
まさに「まさか」の展開。本当に電話がかかってくるとは思ってもいなかったので、しばし放心状態。同僚に「誰から?」と訊かれ、「多分、やっさんだと思う」と言うと絶句していた。やっさんがどんな状況だったのかはわからないが、あの電話はやっさんからだったと信じている。
外で見せる姿は家族の前では違う
アルコール性肝硬変のため、横山やすしが51歳の若さで亡くなったのは1996年1月だった。
長男の木村一八(55)に「オレと親父 19年目の真実」という連載をお願いしたのは15年1月のことだ。話を聞き、できあがった原稿を送り、手直し、修正して入稿するのだが、本人の考えと違っていることも多く、何度もやりとりが続き、時には作業が未明、朝方になることもあった。父・横山やすしへの想いはハンパではなかった。
特に感じたのは、不本意な形で本人とやっさんのことが世に流布することへの憤りのようなものだった。とくにマスコミがやっさんのことを「酒好き」とか「暴力的」と、ステレオタイプに書いていることには強く反発していた。18年に出した自著『父・横山やすし伝説』(宝島社)の中でこう書いている。
〈親父は破天荒な人物だと思われてしまうが、実際はぜんぜん違う……僕から見れば、親父は根暗だったし、酒だって弱かったし、暴力だってほとんど振るったことがない……親父が外で見せる姿と家族に見せる姿はまったく違っていた〉
実際、当時のマネージャーだった木村政雄は「酒好きを演じていました」と語っている。
やっさんは戦中の1944年、長男の一八は69年生まれ。ともに生みと育ての親が異なるのは共通しているが、一八はより家庭環境が複雑だった。
婚約者がいたやっさんが一八の実母と結婚。一八が生まれた。女性関係でいたたまれなくなった実母は、結婚3年目に実家のある静岡に一八と妹を連れて戻り、兄妹は7回も転校を繰り返した。それからよくしてくれた義母(08年に他界)と義母妹、やすしの東京妻もいた。
兄妹が父親と義母の元に引き取られるのは一八が10歳の時。実母には別のパートナーとの間の義妹もいる。連載ではそんな中での濃厚な父子の絆、長男や家族しか知らない親父の実像を明かした。
父親との同居は4年間。「嘘はあかん」「家族や仲間は体を張って守れ」が教えだった。
多感な少年は中学に入ると反抗期になり、中学2年の14歳の時に一人暮らしを始めた。15歳で芸能界デビュー。88年に六本木でタクシー運転手への暴行事件を起こす。連載ではその意外過ぎる真相を詳細に語ったが、やっさんも謹慎する騒ぎとなったことから当時、父子を見る世間の目は厳しかった。事件に関しては「言い訳ですら嘘に含まれる」と言われていたから、反論はせず、報いを受けた。
ずっと悩んだのは、東京と大阪の報道の違いだった。
〈大阪のノリを東京の人はなかなか理解できない。大阪の人が『また、やっさんが、誰か小突いたみたいやねん』、『またかいな。こりんなあ』と笑ってネタにすることが、東京では暴力事件になってしまう。これが難儀だった〉(『父・横山やすし伝説』から)
父子にとってやったこと、あったことは、そのまま「やったこと」であり、「あったこと」という考え方だろう。
天才漫才師・横山やすしは人気者ゆえ、書かれても仕方がない面や有名税という面もある。しかし、それらを割り引いても、「横山やすし・西川きよし」の漫才のすごさには脱帽するしかない。やす・きよは間違いなく不世出の漫才コンビ。憎めない。動画でその漫才を改めて見ると、恐ろしいほどの才能、話術に驚愕する。
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