不遇時代を経て稀代の名優…「大滝秀治」死去から13年 「努力の人」が勝新太郎、小松方正、二谷英明らと指した将棋
悪役、医師、巡査、校長、旅館の番頭、会社の重役、漁師……名作に深みを与える名脇役として、いつもそこにいた俳優といえば大滝秀治さん。特徴ある甲高い声、唯一無二の存在感で強い印象を残した大滝さんがこの世を去ったのは、2012年10月2日のことだった。
日本映画史に残る名作でおなじみの存在だが、俳優として広く認知されたのは遅かった。舞台俳優としてデビューしたものの、永く不遇の時代を経ての開花である。酸いも甘いもかみ分けたような佇まいは、そうした人生経験の数々が影響していたのかもしれない。
遺作「あなたへ」でメガホンを取った降旗康男監督や、映画評論家の白井佳夫さんは、当時の「週刊新潮」に大滝さんの素顔を明かしていた。大滝さんご本人が趣味の将棋を語るという1982年掲載の珍しいコラムと合わせて、名優の生涯を振り返る。
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ボルテージの高い役者
(以下、「週刊新潮」2012年10月18日号「名優『大滝秀治』逝去でわかった かくも永き不遇時代」を再編集しました)
ひょうひょうとした演技で人気だった俳優の大滝秀治さん(享年87)が逝った。テレビ、新聞は大々的に名優の死を悼んだが、世間にその名前を知られるようになったのは、中年過ぎ。それまでに永い不遇の時代があったのである。
大滝さんの遺作は、現在上映中で高倉健主演の映画「あなたへ」となった。
「ロケ地で撮影した時はお元気でした。船頭さんの役で、ちょうど波が荒かったので危惧していたら、大滝さんは“大丈夫です”と言ってくださいました。撮影が終わって、いつものように“お疲れさま”と言葉を交わしたのが最後になってしまいました。去年の秋のことです」
と、語るのは「あなたへ」の降旗康男監督。
「僕が撮った『居酒屋兆治』でも『あなたへ』もそうですが、高倉健さんとの共演ばかりでしたね。とにかく演技に取り組む時は、ボルテージの高い役者さんでした。映画の場合は短い時間の出番なのですが、その時間内にボルテージを最高に上げて爆発させていたのではないかと思います」
「お前の声は壊れたハーモニカだ」
晩年は名優の名を恣(ほしいまま)にしていた大滝さんだが、最初からそうではなかった。
旧制駒込中学を卒業後、繰り上げ召集で陸軍に入隊。終戦後、連合軍総司令部電話部で働くが、近くの帝劇でみた芝居に感激。役者に憧れ、1948年に劇団民藝に入団する。しかし、劇団の創設者の宇野重吉に、
「お前の声は壊れたハーモニカだ。役者に向かない」
と、裏方に回され、やっと正式な劇団員に昇格したのは、1952年のことだった。
「とにかく当時の新劇人は食えなかった。若い頃の大滝さんも借金をしたり、質屋通いをしていたが、そんなことは当たり前すぎて話題にもならなかった」
とは、演劇評論家の矢野誠一氏である。
「あの頃の新劇の役者は映画やラジオ出演をアルバイトにして稼ぐしかなかった。民藝は日活と業務提携をしていたので、石原裕次郎の映画には、宇野重吉や滝沢修といった重鎮と一緒に大滝さんもチョコチョコ出演していましたね」
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