「まず外見で褒められるのが面白くなかった」 “ただの二枚目俳優”ではなかったロバート・レッドフォードさんが目指したもの

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は9月16日に亡くなったロバート・レッドフォードさんを取り上げる。

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“美男子”役でスターに

 日本では1970年に公開された映画「明日に向って撃て!」は、半世紀以上を経た今も傑作の誉れ高い。ポール・ニューマン扮するギャングの相棒サンダンス役を演じたのが、ロバート・レッドフォードさんだ。

 映画評論家の垣井道弘さんは言う。

「機転が利いて抜け目ない相方に対し、早撃ちの名手で美男子の役です。憎まれ口をたたきながらも友情に厚い名コンビぶりが見ものでした。無名だった彼は一気にスターに登り詰めた」

 金髪碧眼の端正な顔立ち。

「二枚目の代名詞ともてはやされ、70年代ハリウッドの代表格に。真価は演技にとどまらなかった。監督に挑戦してアカデミー賞を獲得。さらに映画人の育成に40年以上地道に携わっている。映画界への貢献は計り知れません」(垣井さん)

 36年、カリフォルニア州生まれ。野球の奨学金を得てコロラド大学に進むが中退。今度は画家を志すも、舞台美術に関わるうち俳優に転じた。「明日に向って撃て!」まで、約10年の下積み生活を送っている。

「追憶」(73年)、「大統領の陰謀」(76年)などで高評価を得た一方、まず外見で褒められるのが面白くなかった。

 80年、初監督作品「普通の人々」でアカデミー監督賞の栄に輝く。長男の事故死をきっかけに、父、母、次男の心は揺れ、平穏だった一家が崩壊する物語だ。

 当時、共同通信のニューヨーク支局に勤務していた春名幹男さんは思い返す。

「地味で深刻な映画でしたが静かな反響を呼びました。離婚をはじめ家族の断絶が現実に身近な問題で、内政、外交、経済と沈滞していた社会の雰囲気もくんでいた」

「映画人を育てる」と決心

 ハリウッド映画がバイオレンスやアクションに偏り、ますます商業主義的になっていると懸念を抱く。多種多様でこそ映画との信念から若手の映画人を育てようと決心。81年、非営利団体サンダンス・インスティテュートを創設した。低予算の自主製作映画に携わる人々を主な対象に、私財を投じ育成活動を始めた。

 若手監督の発想を現実化するには、俳優やスタッフとの意思疎通、時間的制約、突発的な出来事など技術以外のさまざまな要素への対応が求められる。そのことを、脚本の一部を演出させて実体験してもらった。

  レッドフォードさんに共鳴した著名な監督らが協力。この実践的な育成の場を、86年の長崎俊一監督を皮切りに日本の映画人も体験した。講師には篠田正浩監督やカメラマンの宮川一夫さんが招かれたこともある。

 若手に上映と交流の場を設けようとサンダンス映画祭も手作り感覚で始めた。

 映画評論家の北川れい子さんは言う。

「89年にサンダンス映画祭で上映されたスティーブン・ソダーバーグ監督の『セックスと嘘とビデオテープ』が話題となりカンヌ国際映画祭で最高の賞を獲得、有望な才能を生み出す場として急に注目された」

 クエンティン・タランティーノ監督が世に出たのもサンダンス映画祭が契機だ。

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