佐賀県警「DNA鑑定不正」が突きつけた“証拠の王様”の危うさ…絶対的な「DNA信仰」のウラに“冤罪”を生むリスク
数々の事件から得る教訓
警察庁関係者も「科捜研は博士号を取得するなど、専門分野のエキスパートが大勢を占めており、他の部署に比べて人事異動が少ないことから、閉鎖的になりがち」と指摘し、チェックが甘くなりがちな“DNA鑑定信仰”の危険性を示唆する。というのも、DNAは事件解決の決め手となる反面、冤罪を作り出す危険性もはらんでいるからだ。
1990(平成2)年5月12日の夕方、栃木県足利市内にあるパチンコ店に父親と来ていた4歳の女児が行方不明となり、翌日、河川敷で遺体となって発見された。その地名から命名された「足利事件」である。
下着に付着した精液を栃木県警の科捜研でDNA鑑定した結果、菅家利和さんのものと同型とする結論が出たため、翌年12月2日に菅家さんが逮捕された。事件から1年以上が経過しても遅々として捜査に進展がみられず「警察は何をしているんだ」との世論が高まる中で県警がすがったのが、まだ科学鑑定として確立されたとは言い難かった、科捜研によるDNA鑑定だったのだ。
わいせつ目的誘拐と殺人・死体遺棄の罪に問われた菅家さんは93年7月7日、捜査段階で“自白”していたこともあり、宇都宮地裁で無期懲役の判決を言い渡された。控訴審でも退けられ、2000年7月17日には上告も棄却。無期懲役刑が確定した。
だが、結論から言えば、DNA型鑑定が犯人識別の重要な根拠とされたこの事件は、再審請求の結果、再鑑定が行われ、09年5月8日に検察側推薦の法医学者と弁護側推薦の法医学者がそれぞれ、精液と菅家さんのDNAは「同一人物に由来しない」と結論。10年3月26日、再審で無罪判決が下された。技術発展が目覚ましいDNA鑑定が“神話”の一角を突き崩した皮肉な結果となったのだ。
また1997(平成9)年3月19日には東京都渋谷区で、いわゆる「東電OL殺害事件」が発生したが、この事件はまさにDNA鑑定が“信仰”と呼べるレベルまで「証拠の王様」としての信頼性が確立されたために「警察が意図的に結果を隠蔽したケースとも言える」(検察関係者)ものだ。首を絞められ窒息死した被害者の膣内には精液が残っており、精子の存在が確認された。
証拠の王様か“信仰”か
同月23日に入管法違反(不法残留)の容疑で別件逮捕されていたネパール人のゴビンダ・マイナリさんが5月20日、強盗殺人容疑で再逮捕される。しかし2000年4月14日、現場に残されていた避妊具内の精液や陰毛がマイナリさんのものであったため、東京地裁は「犯人の疑いはある」と指摘しつつも「事件発生日とは別の機会に性交していた可能性を否定できない」として無罪判決を言い渡す。
この段階ではマイナリさんが釈放されなかったことから、弁護側と検察側の攻防は続き、2審で逆転有罪となり、最高裁で無期懲役が確定していた。だが、この事件も再審請求の結果、膣内の精液をDNA鑑定し、マイナリさん以外の男のDNA型が検出されたため状況が一変、再審を経て無罪が確定した。前述の弁護士はこう語る。
「東電OL事件は、DNA鑑定の結果が隠蔽されたと疑わざるを得ないものです。警察は『証拠として裁判に提出する必要がないと判断した』と主張しましたが、結果的には明らかな判断ミス。不利になるから意図的に出さなかったと思われても仕方がないのです。この事件や『ハイルブロンの怪人事件』で明らかなように、DNAは証拠能力の高さから、逆に取り扱い方次第で、捜査方針や判決までもひっくり返しかねない存在となっているのです」
「ハイルブロンの怪人事件」とは1993年から2008年にかけて、ドイツをはじめ欧州各地で殺人事件など、40件の犯罪を起こしたとされた連続殺人事件のこと。ドイツのハイルブロンで最初の警官殺傷事件があり、現場で犯人とみられる女のDNAが採取された。フランスやオーストリアなど各国で次々起きた殺人や窃盗、薬物取引の現場から、同じDNAが採取されたが、犯人像が全く浮かんでこない謎の存在だったために「ハイルブロンの怪人」と命名された。
しかし、このDNAの主は意外な人物だった。鑑識作業で使用されていた綿棒の納入工場の工員のもので、一連の事件とは無関係であることが判明している。各国の捜査機関が同じ工場で製造された綿棒を使用しており、素手で作業した女性工員のDNAが付着していたのだった。
もはや「サイバー犯罪を除けば、DNAと防犯カメラで全ての事件は解決する」とまで言われる。そのDNA鑑定で発覚した“トンデモ事件”の影響は今後、捜査現場にボディブローのように効いてくる可能性がある。




